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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 10月22日 理想の文化

私が物心ついたときは、大人の世界というものがあって、その世界は光と闇が備わっているといわれていた。そして光だけに目を向けることは理想主義だとして、どちらかといえば未熟者のように見られていた。人は成長することによって両方のバランスを上手にとって暮らすことができるのだと思っていた。つまり理想ばかり追っていてはまともに暮らせないということなのだ。

そんな思い込みを、「バラカンが見た縄文」というTV番組はあっさりと否定してくれた。また、理想世界はすでにこの世に存在していたということも、私を勇気づけてくれた。しかもその理想世界は私の足元に存在していたのだ。これまでこのブログでも何度か取り上げた縄文文化のことだが、私の拙いイメージでは狩猟採取で暮らす小規模な集団が、豊かな土地の恵みを受けながらこと無げに暮らしている様子を想像していた。

ところが番組で紹介していたのは、何百人単位の人間が一か所に定住し、さらには巨大な木造の建造物を建てて暮らす様子だった。一般的に多くの人間が一か所に暮らすためには、それを支える安定した食料の確保が必要になる。それを支えたのが栗の実などの木の実だそうだ。また、漆を生活に利用することも頻繁に行われ生活に彩を与えていた。これらのことを可能にするためには植樹や栽培の技術が必要になる。それにもましてこの技術の最も難しいところは、その技術が継続して用いられるためには膨大な時間が必要になることだ。つまり自分の人生だけではなく未来に暮らす子孫のことまで考えることができなければ継承などできない技術なのだ。

それに引き換え現代に暮らす私は、そのネガティブな側面から、いまだに機械や技術というものに不信感を募らせることがある。ところが縄文の文化が伝える技術は1万年を超える彼らの豊かな生活を支えてきたのだ。そのことは、彼らが技術とともに、それを使いこなすための深い精神性を持ち合わせていたからではないだろうか。現代の我々は目覚ましい技術の進歩とともに、暮らしているはずなのだが、人類の行く末に悲観的になる者も少なくない。

いったいこの差はどこから来るのだろうか、精神性とは何か、もう一度自分の足元を見つめ直すしかない。