今日は好日
2021年 11月13日 自我は何故生まれるのか
この世のすべての悲しみは個の認識から起こっているように感じます。痛みも悲しさも死の恐ろしさもまた、恋焦がれる苦しさも、個という認識が無ければ成立しないものです。この認識を起点に存在という認識を眺めると当然全知全能の存在も自分以外の存在として認識しなければ、つじつまが合わなくなります。
つまり、現実と捉えている世界は分離意識を基盤として組み立てられている世界で、いわゆる神からも隔てられた孤独な存在ということです。また、この世においてはすべての現象がかかわりあいながら動いていていますが、多様な個性によって同じ事象が起こりえないよう巧妙に仕組まれています。
何を言いたいかといえば、個性とは同じ事象を繰り返さないための宇宙が用意した仕組みではないかというものです。そのことで大宇宙が私たちに送っているメッセージが広がりという不思議なメッセージです。本当かウソか分かりませんが宇宙は誕生したその瞬間からえらい勢いで膨らんでいるそうです。何のためにと言われればそれこそ知る由もありません。ただ言えるのは空間の広がりと多様性の創出がひたすら起り続けているということです。
このことについて宇宙からのメッセージを受け取る受信機が好奇心という意識なんですが、世の中には好奇心のためには命を捨てる覚悟のツワモノが多くおられます。それほど人間には強烈に刷り込まれています。
話を整理するとこの世で感じる悲しみや切なさは個性という分離意識から生まれますが、その意識は宇宙の歩みと同じ方向に向かっています。つまりこれも宇宙の意志だということです。
では、宇宙の実態、リアリティーとは何かといえばそれが今この瞬間という特異点のような存在です。誰でも認める日常でありながら、今この瞬間は言葉で説明できません、何故なら時間も空間もないんですから、どうしようもありません。ただ静寂にあるというようなことです。
そして我々が自我という概念から生み出される苦痛から離れ静寂を感じるためには、一度個性から離れてすべての現象を受け入れてみることが有効です、あなたが受け入れやすいメソッドがきっとある筈です。