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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 1月29日 そんなバナナ‼

米ニューヨークのサザビーズで展示されるボッティチェリ作「悲しみの人」(2022年1月21日撮影)。(c)Theo Wargo/Getty Images/AFP

以前ご紹介したフィリポリッピの弟子サンドロボッチチェリのキリスト像が、ニューヨークのあるオークションで落札されたそうです。バナナが1300万円で売れるそうですからニューヨークは文化の中心で、野心家の夢が叶う街と言えそうです。

そんなことも私にとっては驚きでしかありません。オークションとは需要と供給で成り立つ開かれたマーケットです。世の中にはこの絵にそれほどの価値を見出した方がいるということです、そこは自由な国の自由な取引なので何の問題もありませんが、私が違和感を感じるのはこの絵のどこに価値を見出したのかということです。権威のある方が価値があるといえば、それがたとえ便器だったとしても価値が出ます。とはいえデュシャンのサインがあればこそではないでしょうか。

ではこの絵について、絵面の評価ではなくサンドロボッチチェリという名前に価値があるのだとすれば、この絵がボッチチェリの絵だと認めた権威によって、この絵の価値が担保されているという構図が出来上がります。つまり私にはこの権威こそ、この絵の価値を作り上げてしまったのではないかという思いがこみ上げてきました。

ではこの絵に対する私の正直な感想です。くれぐれも私は真贋について語る気持ちも資格もありませんのであしからず。

さて私がこの絵を見て感じた思いは、キリスト像にしては何故か不思議な表情をしている印象を持ちました。タイトルは「悲しみの人」とありますがその辺が全く伝わってきません。特に違和感があるのはキリストの眼差しです。古今東西の画家が肖像画に最も苦心するところが眼差しで、目は口ほどにとかいう様に眼差しの表現にこそ画家は多くのメッセージを込めるものです。そのように眼差しから受ける印象が、不思議なことに私には受胎告知でマリアが受けた驚きのように感じました。

また、肖像画では手の表現も重要になりますが、この絵のキリストは胸元で手をクロスさせその指はしなやかで、まるで女性のようです。他のボッチチェリの絵に描かれている男性の指はちゃんと節くれだっていますので、この絵だけ男性の指としては優美に描かれていることになります。また、胸でクロスさせた不思議な手のポーズ、良く視ると手首が縄で縛られていますが何を意味するのでしょう。

さらには衣装の胸元にもかなりの違和感を感じます。もしこの絵が女性を描いたものならそれほどでもないのですが、イエスの肖像ということなので男性のはずです。そうであるならこの胸元は男性の衣装ではなく、女性の衣装のように見えます。そのことは二の腕に飾りのある袖も男性の衣装としてより女性ものの方がしっくりきます。

ほかにも、背景に浮かぶ天使の表現は強烈な印象を受けますが、この作品以降周りの弟子たちは、何故この表現をまねなかったのかも疑問です。

私はこれまでこのブログでアートを完成させるのは鑑賞者だと言ってきました。なのでこの作品にそれほどの価値があると鑑賞者が思えるならそれでいいことです。ところが、サンドロボッチチェリの作なので故に価値があるとした場合は、誰がこの絵をサンドロボッチチェリの絵だとしたのか、そこが問題だと思います。あの人が言ったことなので間違いなということなのでっしょうが、ではその根拠はといえばそこまで突き詰める方もいないと思います。とかく学歴や実績で正当性を納得させられてしまいますが、私はそのことを権威と言っています。

「私の目にはこのように映っていますよ」ということを伝えたかったんです。余計なことのようですが、私は絵画にそれだけの価値を置いています。それは真実に向き合いたいという切なる思いです。

もしこの絵の価値が何らかの権威によってもたらされたものであるなら、アートの世界も単なるマネーゲームでしかないことになります。

であるなら、そこに人生を掛ける価値があるのかという疑問が湧いてきます。

あっいま、天の声が「信じるものは救われる」と言っています。