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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 2月22日 すべては思考によって作られる

あたっているようでちょっと違います、「以前このブログにこう書いてあった。」という方があるかもしれませんが、このブログも結構な数の記事になりました。誤字脱字変な文章も散見されますが、見ないふりをしています。正直、確認するのが面倒なだけなんですが、もしこの通り受け取られているとすれば少し修正をさせていただきたいと思います。

まず、私は思考とは言葉による解釈のことを思考と思っています。つまり、言葉、名詞の組み合わせから時間の世界を表現することだと思っています。すみませんが国語の話をしたい訳ではないので、動詞や助詞も名詞に括って話しています。この言葉によって時間という概念を理解しています。

分かり易いかどうかわかりませんが、私たちは物の価値をお金という道具に置き換えて理解することがありますが、そのような考え方の延長です。そのものの価値がいくらであると表現されると何となくその物の価値を理解できたように感じてしまいます。

このように言葉が無ければ、物の関りや時系列に対し理解が出来なくなります。また、ここが大切ですが物の良し悪しを判断することも出来なくなります。

言語を通さず理解できるのは、寒い暑い痛い痒いしょっぱい甘いうるさい、心地いいつまり、五感が直接感じ取ったことだけです。

そうだとすれば、私たちの苦しみの多くは、この五感を外れた苦しみがほとんどを占めていないでしょうか。ここが気づきの世界です。熱いのに熱くないと言っていれば、バーべキューになってしまいます。腹が減っているのに空腹を感じないのは、たんなる病気です。

人間の叡智は日々の生活に余計な苦しみを背負わないことにあります。マニアックな方は苦しみに喜びを見出す方もあるようですが、それは、人生の楽しみ方というものでしょう。

また人生などという言葉も現象界で起っている有様を表現しているようですが、思考が創り出した記憶にすぎません、ところが、熱い寒い痛い痒いは言語から起こる表現ではありません。これこそあるがままの世界です。

人間の凄いところはこのような切ない思いを共感することによって、この切ない思いを世の中から排除できないものかという妄想に陥ることです。以前意識が世界を創ると言ったのは、このような妄想に向かうことなんです。