今日は好日
2022年 2月23日 封建社会の好んだ平等?
今日は日本の心、茶道のお話です。それは日本人の独特な美意識「詫び寂び」の世界にも大きく関わっています。もちろん俳句や建築、華道、日本庭園の世界も含めてなのですが、海外の文学や美術史には全く登場することのない不思議な美意識です。
そもそもの起こりは、鎌倉時代、臨済宗の禅僧大燈国師により京都大徳寺で花開きます。この大徳寺の有名な禅僧にはとんちの一休禅師がおられます。このことによりお茶の文化は禅僧の日常から時の大名、庶民まで一気に広がりをみせます。
さてお茶の世界といえば千利休それ以外の茶人を思い浮かべた方は、この道に触れた方ではないかと思いますがそれほど利休がこの世界に残したものは大きいと言えます。
ところで、千利休の才能を最初に見抜いたのは織田信長です。織田信長は利休の審美眼を利用し、茶道具を武功の恩賞に使ったことで、打ち出の小づちを手に入れたことになります。またこのことは戦国時代にあって利休の影響力を絶対的なものにしてしまいます。
ただし、利休がただの俗人と違うところは、その美意識において最後まで権力に屈することは無かったというところでしょう。その最たるものが茶室に入るに至っては、どのような時も帯刀を許しませんでした。また有名な茶室のにじり口によって如何なる権力者も、必ず頭を下げて茶室に入ることを強いられます。さらには、複数で茶室に入れば、茶碗は回し飲みになります。このように天下人といえども利休の美意識の世界では平等に扱われてしまいます。
このような利休の死は非業の死と言われますが、世界が違えばもっと厳しく処刑されていたはずです。
では、利休の死後茶道はどのような道をたどったかといえば、ご存じの通りその後の如何なる時代にあっても利休の思い描いた平等の精神と美意識は今日まで受け継がれ、日本だけにとどまらず世界中の人々から親しく受け入れられています。
戦国時代という日本の歴史の中で、常に争いの絶えない時代にあっても、利休が理想とした真実に向き合うということは、時間を超えた喜びを私たちに与えてくれます。つまり日常のお茶一杯の中に、時の英雄であっても求めてやまない真実の安らぎがあります。
それは、今あなたがすするお茶と同じ喜びです。