今日は好日
2022年 2月27日 画材屋での世間話
昨日は久しぶりに画材店で買い物をしました。伺ったのは函館の絵画堂という画材店です。私が公募展に出品しだしたころからのお付き合いなので30年以上のお付き合いになります。店主は私より2歳くらい若いはずですが、お互い白髪頭の枯れた姿になりました。
そんな店主が、最近公募展に出品する人が減ってきていることを嘆いていました。なんでも絵画の運賃が値上がりして大変なんだそうです。私も一頃東京の美術文化展にお世話になっていたことがありました。当時でも2,3点の絵を送るだけで4,5万円の出費になりました。自分が展示会場に行くためにはさらに倍の費用で、そのほか会に所属すると年会費がかかります。志の低い私はすぐに挫折しました。
などという淋しい会話をしながらも、画材店は函館でこの絵画堂さんただ一軒だけとなり。おかげでいろんな注文が舞い込んで店の中は足の踏み場もない有様でした。帰りに「頑張ってね、ここが無くなったら困るからね。」と励ましたつもりでしたが自分ながら無責任なことを言っているようで、よるべなさを感じていました。
そのような思いは、画壇の話だけに限らず、若い方の生活がいまやすっかり変わってきている、という思いもあってのことです。私が若い頃は、実際手にしたり、体験しなければ欲望を満足させることは出来ませんでした。
それはマイカー、マイホームを得ることが人生を人並みに送ることの条件だった時代です。そんな時代ではどんなブランドのどんな洋服を着て、イベントにはブランドのバックや時計を送りあうそれが幸せの定義です。それを手にするためには心の中に草が生えるような暮らしをしていても、なんら顧みられることはありませんでした。
ところが今、世の中を見渡せはそんなものを追いかけている人はだいぶ減っているように感じます。
では、今の若い方が望んでいることはどんな事でしょう、それはデジタル信号の世界の中で生まれる様々な経験であり、そこに加算されるポイントです。その為には3次元の世界は顧みられないという凄い時代になりました。
このようなことを悲劇的に捉えると現実逃避だなんだと言いたくなりますが、私はこの流れこそ人類が真実に向かう一歩だと思っています。なぜなら、このことは人類が仮想現実の世界で暮らすことに何ら抵抗が無いことを証明しているのではないでしょうか。
以前は化石燃料をまき散らし、ごみに埋もれて未来を閉ざしていたところが、最近見かける世の中の人は画面の一点をひたすら見つめるだけで、せいぜい動かしても指先のほんの一部という、とてもエコな生活をしています。
このような視点で見ると、現在私たちは意識だけの世界で暮らす準備を着々としているのかもしれません。