今日は好日
2022年 3月6日 正義を求めて
正義だから間違いがないという考え方があります。「そんなのは当たり前だ」という方に聞いてみます、どちらも正しかったらどうなりますか。「どうもならん」という答えがすぐ返ると思います。ではどちらか一方の選択しかなかったとしたらどうでしょう。もしあなたに選択権があるとすれば「好きな方を選ぶ」となる筈です。
実際生活をして分かることは、物事は多面的でどの面に焦点を当てるかで物の捉え方が全く違ってくるということです。もしもその物事に対してどうしても評価しなければならないとしたら、それは結果を受けてから評価するしかありません。その場合であっても評価者の立場によって評価が全く違ってくることは容易に想像がつきます。
結果から言ってしまえば、正義とはただの概念でその場の都合で変わらなければならないということです。残念ながら表現の自由や言論の自由も同じことが言えます。このブログであっても頭に浮かんだことを何のフィルターもなしに載せているわけではないんです。そこは程度の問題です。このように文章の世界ではどうしても限界が出てきます。云ってしまえば、そこにのめり込んで生きるのは、真実を見失う可能性があるということです。
私たちは言葉の世界で人生を送っています。これはこれでとてもエキサイティングでワクワクします。問題はその世界にのめり込みすぎて想像妊娠のようなことに成ってしまったら、それはそれで不幸なことです。
私が提案したいのは適当なところで一息入れましょうということ、「何にも考えない時間」それでいいんです。