日々これ切実
2026年 2月2日 郷に入りては日本人

先日終了したダボス会議に参加した片山さつき大臣は、このディスカッションにおいて日本居住の外国人割合はヨーロッパの15%に比べ3%と低すぎるのではないかという質問を受けた。これに対し大臣はそのようなヨーロッパに追従するつもりはないという明確な意思表示を行っていた。驚くのはダボス会議といえばグローバリズムの総本山とも言うべき場の討論会でこれほど明確な意思を述べていることでかつての政府では想像もつかないことだ。大臣はこれについて日本に被害を与える外国人については明確に排除していくことを表明している。これについて大臣はbe like Japanという表現を使われていた。要するに郷に入っては郷に従えと言う事なのだと思うが、私はこの言葉こそ移民問題の最も重要な解決策だと思っている。
というのも日本の歴史を辿れば、四方を海で囲まれた絶海の島国ではあるが、長い歴史の中で様々な民族が辿り着いていることは事実とされる。だとすればこれらの異文化が出会えば、いずれ対立し争いが起こるのは世界の常識だ。ところがこの日本に限っては常識が覆り、いつの間にか異文化は融合し合い単一の民族になってしまった。しかもそのような融合は大概武力による統一が世界の歴史になるが、日本の場合、日本最古の書に記される天照大御神と須佐之男命の対立も誓約という神事で治められ、出雲と大和の対立も出雲の国譲りという話し合いで治められたことになっている。つまり、日本では古来より対立は武力によらない解決が理想とされてきたと言う事だろう。
さらに言えば宗教の世界でも普通は異教徒同士の対立となり得る神道と仏教の関係も、日本では神仏一体という捉え方で治められてきた。このような治め方は、未だに戦争に明け暮れる国々では想像もつかない解決策に違いない。では何故日本では、古来からこの様な同化が可能だったのかといえば、私はその答えは日本の皇統にあると思っている。というのも日本の歴史において官位や爵位が導入された時代は有ったにせよ、厳格なカーストは存在していない。これは日本人のすべてが天皇の臣民であるという大前提があるからだろう。つまりどのような身分や立場の人間であっても日本人といえば、天皇陛下にとってオオミタカラといわれる大切な臣民なのである。そのため日本人は誰に対してもお互い深々と頭を下げることをする。この行為はお陰様ということの他に、天皇の臣民に対する敬意が含まれている。
話を移民問題に戻すと、日本人が単一民族と思われてきたのは日本人が文化の同化を自ら進んで受け入れてきた証拠だろう。つまりその根幹に天皇制があり、これを受け入れるからこそ日本人は心の底から日本国民としての一体感を感じることが出来るのではないだろうか。その決意がどれほどのものかといえば、大東亜戦争において日本人が命に代えても守ろうとしたものは何かということに行着く。これを単なる同調圧力という心理状態だけで説明しきれるものではないだろう。これについてさらに付け加えるとすれば、終戦記念日といわれる8月15日を連合国は戦勝記念日とすることはない。彼らが終戦と認識するのは、戦艦ミズーリ号の上で日本が降伏文書に調印した9月3日である。
では何故、日本ではこの日を終戦の記念日とするのかといえば、これは日本が天皇陛下の命により自ら戦争を放棄した日なのである。その命とは世の中に万世の太平を開くことであり、これこそ後世の日本人に託された責務なのである、日本人よかくあれかし。