今日は好日
2022年 3月13日 護国の魂
こちらは函館護国神社の鳥居です。護国神社とは明治から始まる政府の認める神社です。もともと明治2年より招魂神社として政府に貢献した英霊をご祭神として祀る神社でした。護国神社の名前は昭和14年政府の内務省により指定されています。
ということで、これまでの古事記に伝わる神代の世界とは違った歴史的背景を持つ神社です。この歴史問題は現在1つ間違えると国際問題となりかねない大変デリケートな問題になりますが、私からすれば都市伝説が大手を振てまかり通ているようにしか見えません。
ここ函館護国神社ではもともと戊辰戦争で亡くなった菅軍の兵士を祀っています。その後も日露、大東亜戦争と続き現在13000柱の御霊を祀っているそうです。
ところで私たちが今、英霊といえばすぐに東京九段の靖国神社を思い起こしますが、神社同士の交流は有っても直接的な繋がりは無いようです。となると現世の感覚でこのことを捉えた場合「靖国で会おう」といて散った魂は一体どこにいるのかという疑問が湧いてきます。ともに祀られている可能性があるということらしいのですが、こんなことが戦後、裁判になるほどの問題になってきました。つまり、神社が勝手に魂を祀ることは信教の自由を奪っているのではないかというものです。
御霊からすれば平和な日本の未来を信じて艱難辛苦の場に命を散らせたはずが、「いったい何をしてくれるんだ」と思わないでしょうか。
そんな歴史の流れを受けて、この神社も戦後まもなくGHQにより汐見神社と名前を変えられた経緯があります。こんな些細なことにまでGHQは干渉してきました。一体何を恐れてのことだったのでしょうか、それは日本人の国に対するゆるぎない信頼と自分の命をも顧みないメンタリティーを恐れてのことだと思います。逆に考えると戦争中日本人はそれほど手ごわい敵だったということで、戦後日本が復活した場合のことを恐れていたのだと思います。その恐怖がどれほどのものか、戦後の教育にGHQがどのように関わったかを見ると分かります。
さて、このGHQの企みはいったいどれほどの功を奏したのでしょうか、つまり日本人のメンタリティーはどのように変わったのでしょうか、いまの若い人の暮らしぶりを見ると過去にアメリカと日本が戦争したことさえ知らない若者が冗談抜きで増えています。さらには、「国を守るために命を懸けることが出来るか」との質問には驚くほどの「NO」がかえってきます。シメシメと言いたいところですが、残念ながら3.11の対応やその後起こってきた様々な災害に対して日本人のとってきた対応を見ると、その試みはうまく機能したとは言い難いものがあります。
やはりいざとなった時の日本人は、当時も今も変わらないメンタリティーを持ち続けているようです。