2023年 創作へのオマージュ
6月22日野見山暁治画伯の訃報が伝えられた。美術界にとって大変な功績を残された方だが、ではどんな画風かと問われて簡単に答えることのできる方は少ないのではないだろうか。というのも画伯の作風は生涯にわたって常に変化し、むしろ型に嵌められることを拒むように創作活動を続けられていたからだ。
さてこの作風が常に変化し続けることの困難さは、創作を生業とするプロにとっては、趣味としての創作と比べれば、その困難さには雲泥の差がある。というのも作風を変化させるというのは、それまでの成功体験を否定し未経験の宇宙にその身を投じることに他ならないからだ。もしこのことを画伯が精神的ストレスに感じていたとすれば、102歳という齢は悲惨としか言いようがない、とはいえ私はその考えは間違いだろうと思っている。
私は画伯の創作活動は過去や自分への新たな挑戦を続けるというよりは、むしろ過去にとらわれることなく新たな作風を受け入れることが、画伯にとってごく自然な成り行きだったのではないかと思っている。つまり画伯の創作活動とは、自分と繋がる無意識から自然に湧き出してくるイメージと素直に向き合うことではなかっただろうか。
というのも私が最初に画伯の絵に触れたのは第2回の安井賞受賞者としてだ、この賞は具象絵画の登竜門として創設された賞で現在はその役目を終えたことになっている。それ以降も出版やTV出演など精力的に活躍されていた。ところで私はこのブログのサブタイトルを「絵画から繋がる無意識の世界」としているが、つまり目指すところはシュルレアリズムの先にある世界で、そのことを私はENizm運動と呼んでいる。具体的に言うとここには作風という自我を意識から手放す創作活動のことである。私は創作活動の理想をそこに見出したいと思っている。
そんな思いから今日、小さな作品が出来た。正直函館ならこの作家だと思っている方のスタイルに似ていたので、タイトルを「創作へのオマージュ」としたが、結局無意識から生まれる作品とは表現のオリジナリティーを追求することよりも、誰もが固定観念から離れて共感できる根源的な存在にその喜びを見出すことにある。そのことで得られるのが作品や創作活動の普遍的な喜びであり、言い換えればあるがままを受け入れ表現することで、誰もが共感することのできる普遍的な喜びに繋がることが出来る。その意味において画伯の訃報は、我々になんら悲しい離別を告げるものではない。
なぜなら無意識こそすべてが繋がる実態に他ならないからだ。