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新 思考ラボ

2025年9月15日ようこそ

2025年 9月14日 意識はどこに有るのか

普通は頭の中と答えるのが常識だ。これに対し古来より人の魂は不滅だと多くの日本人は信じてきた。とくに、最後の審判という信仰を持たない日本人にとってその思いはより強いのではないかと思ってしまう。因みに私個人の体験からすれば、人はどうやら心臓が止まっても感覚や意識は存在しているように確信している。そればかりではなく意識は生物の種を超え、肉体としての自己を超えたところにあるのではないかとさえ思っているのだ。

先日もクレージージャーニーというTV番組では、アリの巣の研究者が取り上げられていた。そこでは赤土で築きあげられたアリの巣を掘り返し女王ありの様子を撮影するというシーンがあった。その蟻の大きさからすれば、巣の大きさは人間様の超高層ビルに匹敵する大きさに思える。

しかも超高温のサバンナにそびえる巣の内側は厚い土壁に守られ、その中心に巨大な通気口を通すことにより、なんと室内気温はほぼ25度に保たれているのだという。又彼らは湿度を高めた部屋を造ることによって、彼らは自分たちの食用とするキノコを栽培しているそうだ。これではすでに人間様の先を行く屋内農業が営まれていることになる。私にはこのような高度な仕組みが無秩序な確率論で出来上がり、機能すると言う事は土台無理なことのように思えてならない。要するにこのような現象が起こるためには蟻だけの視点だけではなく、サバンナの気候や赤土の性質まで俯瞰できる視座が必要になるのではないかと思ってしまうからだ。

ではその視座とは、広大な宇宙のどの位置にあれば世界は同じ秩序で繋がることが出来るのかと考えれば、最も合理的に考えれば、宇宙には一つの視座しかないのではと思ってしまう。要するにこれを極論すれば、宇宙は唯一つの認識を共有していて、そのためこの認識を意識という言葉に置き換えてしまえば、私という認識は、全ての意識に繋がっているということにならないだろうか。

 

 

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Posted by makotoazuma