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新 思考ラボ

2025年10月19日ようこそ

2025年 10月19日 学びについて

学びといえば腰が引ける私がこんなことを書くのはどうかと思うが、人には個性があるように学びの捉え方にも様々ある。特に生まれてほどなく始まる義務教育にも、私は千仞の谷から突き落とされるような厳しさを感じていた。因みに義務教育が富国強兵のために生まれたと聞き、行進のリズムすら取れない私は早々距離を置くことになる。とはいえ、この教育によって私は曲がりなりにも一通りの読み書きを覚え、様々な人類の叡智に触れることが出来るようになったことは何より有難い。ということで、一方的な評価さえ頂かなければ今でも教育に対して私は感謝し続けている。

ところで、世界中の教育と日本の教育にはどんな違いがあるだろうか、おそらく初等教育を比べれば各国さほど違いはないように思える。ところが博士を生み出すところまで比べると現金な話だが、国によりお金の掛け方には大きな違いが見えてくる。先日もアメリカではハーバード大学への支援をトランプ大統領は中止したという。つまり、このレベルの話になると国家の思惑が教育というものに大きな影響を与える事は致し方ないことのようだ。要するに税金の支出には国民の利益が優先するので、政権が民意に誠実であろうとすればするほどここにはシビアな判断が求められるのだろう。日本でも日本学術会議というものがあり、前々政権においてはこの時6人の支援が見送られたという。

これについてもいまだ多くの論争があるものの、税金による支援を望むのであれば、まずは日本国民にとって有益な研究が望まれる。つまり、純粋な学術に対する支援を望むのであれば税金に頼らない別の運営を模索すべきであり、そもそもが日本国の国益を顧みない研究者には相応しくない制度なのである。

さて話を整理すると、学びを最も効率的に浸透させるシステムが教育というシステムであり、これには体系的に知識を伝達する方法が有史の時代からすでに確立されている。問題はその先にある研究者の育成についてだろう、ここには政治の立場を初めまだまだ多くの課題が残されているようだ。特に私が不思議に思うのはこれほど世界に貢献されるノーベル賞受賞が居られる日本にも拘らず、現在の日本人の平均賃金は何故これほど低いままなのか。要するに研究段階では世界をリードする研究があるにもかかわらず、その研究が経済発展に繋がらないのは何故かということなのだ、と言う事はこちらの研究が今一番求められるところではないだろうか。

因みに私が思うのは、日本で最も足りていない教育は、国民のアイデンティティーを情操する教育ではないかと思っている。このことは他国の状況を見れば明らかで、他国においてはいずれの国も初等教育から当然のように行われている。日本のように国旗や国歌に対し敬意を払わない行為はマナー違反とされるのが常識だ。

このような状況が、日本国民に及ぼしている影響は実のところ計り知れないものがあると私は思っている。というのもこのことはすべてではないにしろ、日本人の自殺率の高さという悲しい数字に表れているのではないかと私は思っている。この件に関して今は明確な資料を提示することは出来ないが、近年日本で顕著な低年齢層の自殺者増加は事態の深刻さを物語っている。このことを突き詰めてみると自我が確立できていない子供たちにとって現代社会は、彼らに降りかかる困難にたいし生きる支えを示すことが出来ていないのではないだろうか。それに引き換え封建社会と言われる戦前の教育によれば、日本人は神代から繋がる尊い歴史を持ち、天皇を支える臣民として我がことがオオミタカラであるという自覚を誰もが持っていた。

確かに、「ばけばけ」などのドラマを視れば、家を支えるために女性は当然のように遊郭に売り飛ばされていたようだ。とはいえそれほど絶望的な境遇にあっても家族という帰属意識が彼らにとっての命の支えになっていたことは間違いない。ところが現代においては、自由の美名のもとにその希望すら失ってしまったのではないだろうか。驚くことに少子化対策を掲げる国会議員が夫婦別姓法案を法制化し、最後の砦となる家族の絆をさらに希薄なものにしようと躍起になっている。彼らのような議員が現在寄る辺の無い子供たちを創り出してしまったように思えてならない。我々は子供たちにこの世には切っても切れない絆があることを教えるべきではないだろうか。

ようこそ

Posted by makotoazuma