日々これ切実
2025年 10月17日 アートと霊性
とかく論理で解釈されることを現実と定義したがる現代において論理を外れた世界に敢えて臨もうという流れがある。アートはそもそもそんなものの表現だという流れと近代は言語によるストーリーからも脱却しようという更に構えた表現者がいる。前者は太古の昔からこの世では具現化できない神々の世界を2次元又は3次元において表現しよという試みであり、後者はすべての否定から立ち現れる何ものかを具現化しようとするコンテンポラリーアートの世界だ。
昨日訪れた道立函館美術館で開催されている小松美羽展 祈り宿るを見れば多くの方が氏は前者のアーティストと捉えられるに違いない。しかもライブペイントの印象的な映像を見れば、なおさら氏の作品は葛藤など寄せ付けない説得力でギャラリーに迫る。それは作品制作自体が、まるで予定された世界でもあるかのように感じてしまうからだ。
こんなことを書くと作品を世に問う生業の者にとってこのような神業は、ある意味努力だけでは乗り越えることのできない残酷な壁のように感じられてしまうに違いない。
ところで、私が初めに感じた展覧会の印象では、展示の仕方にもよると思うのだが、最初に想像していた氏の作品の印象とは全く違う印象を受けてしまった。というのも氏の作品は即興的で作画に対する取り組みも不安定なものではないかという色眼鏡で見ていたからだ。ところが実際の作品から受ける印象は繊細で冷静な制作過程を示してくれた。要するに展示されている氏の作品は、明らかに多様な技術を習得し、それを駆使したプロの作品群という印象だった。案内板によると氏は美大において最初の頃は版画制作に取り組まれていたという、そこで生まれた繊細なペンのタッチはこれから生まれる多様な表現の柱として様々なキャラクターを支える。ここに天性の色遣いが加わりここから氏は、圧倒的色彩による作品をとんでもないスピードで生み出し続ける。ここで私が思い浮かべてしまったのがオディロンルドンが魅了する色彩や神秘的な世界観だ。
というのも実際の作品を目にして感じるのは、圧倒的な色彩とそれを支える繊細なペンのタッチでこれにより表現は奥行きと広がりを感じる。また緻密に計算された下地作りには冷静な計画性を感じてしまうのだ。というのも金箔の下地に使われた朱の効果や、ホールアースという作品の三角形を組み合わせた作品では真っ白な下地と黒の下地が市松模様のように組み合わされ立体的な視覚効果を創り出す。
ところで、このWhole Earthという作品は学芸員の解説によるとバックミンスターのダイマクションマップを参考にされているという、このことは境界線の無い世界観を表現したものだそうだ。因みに稚拙な私が思い浮かべたのは北極にはとんでもなく巨大な穴が開いており、それは地球に存在する地底世界と通じている。まるで月刊ムーに登場してきそうな地底人の都市伝説だ。とはいえ、このタイトルから辿れば自説でよいのではと思ってしまうが、残念ながら私は真実を本人に窺うチャンスを失ってしまった。せっかくテープカットやサイン会が催されていたにもかかわらずこの時期、どうしても展覧会に伺うことが出来なかったからだ。
さて、この展覧会には600円で会場の音声案内がついている、なんとその案内を担当されているのがGlayのTERU氏だ。Glayといえばデビューまもなくビジュアル系バンドの草分けという冠がついてしまった。それまでロックスターと言えばどこか野良ぽいイメージが付きまとう世界だったのだが、逆に言えばバンドの外見的イメージまで含めたプロモーションがこの世界の主流になったと言う事なのだと思う。そう思うと小松美羽というアーティストは画家におけるビジュアル系なのかもしれない。最近僻みっぽくなった爺は氏の容姿と活躍がとても羨ましい。