春望録
2025年 2月3日 日本の外交
外交交渉の次に来るのは実力行使である。敢えて言えば、実力行使にまで至れば対話による平和解決は極めて困難になる。つまりこれから先は物理的優勢が結果を決めることになるからだ。現在アメリカとカナダはこれから関税の応酬になるが、この先も、移民問題の解決が図られなければ武力衝突になる可能性まで否定できない。これによりなんといっても気の毒なのがカナダ国民だ、これまで仲良く手を携えてきた盟友がいきなり手のひらを返して襲い掛かってくるのだ。つまり世界情勢に関心のない一般市民にとって隣国の大統領は領土拡大に取りつかれた独裁者のように映っているのかもしれない。
しかしながら今の世の中は狂ってるという視点で、トランプ大統領の誕生を捉えていたものにとってこの流れは、歓迎すべき流れなのである。どういう事かといえば政治への関心がなければ、このような最悪の事態を回避することは出来ないということだ。というのも今回のトランプ政権誕生は、単に一国の大統領が誕生したということで済まない。私などは、この事態をフランス革命以来の大変革と捉えている。というのも、これまでアメリカが世界に及ぼしてきた影響力はそれほど強大であり、むしろその力は国という枠組みをも遥かに超えた存在だったと認識している。そしてこのような影響力をトランプ大統領は目に見えない政府、DSという言葉で表現している。その上で今回の就任はこの勢力の解体にあるとハッキリ明言している。
つまりこの流れは国同士の領土争いと云うレベルの話ではないのだ。私は勝手にこの対立を唯物論と唯心論との戦いだと捉えている。例えばあまり良い例えではないが、パンを誰かが食べれば、誰かが餓死すると捉える世界観か、パンは無限だととらえる世界観かの違いになる。
因みに2/3のデーリー新潮の記事によると、日本の外務大臣がトランプ大統領の就任式の前に、大統領と対立する側の人物とコンタクトを取っていたという。これまでの日本の歴史では外交となれば壮麗な寺院を建立したり、或いは鹿鳴館を建て慣れないダンスを披露してまで相手国の文化を尊重してきた。そのような国の外交であるにもかかわらず、この行為は目の前でその国の元首を踏みにじるほどの体たらくなのである。国の代表として式に臨む外務大臣が、外交マナーさえわきまえないのであれば、日本国は再びジャップやイエローマンキーと中傷されても仕方がないのではないだろうか。これからのカナダ国民も気の毒としか言いようがないが、一方稼ぎの半分を納税したうえこのような恥を海外に晒さなければならない日本国民はあまりにも惨めである。要するに国の代表を選ぶと言う事は誰が成っても同じなどと思っていてはいけないということだ。選挙は国民にとって自身や家族の存亡を左右する一大事なのだ。