G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

春望録

2025年4月19日gallery,ようこそ

2025年 4月17日 歴史の何故?

誰が考えても戦争は合理的な解決とは言えない。そう思いながらも人類はこの不条理を何故か克服することが出来なかった。とはいえ日本に限れば、戦後80年に渡り我が国に戦禍が及ぶことがなかった。このことは平和憲法がこれを護ったという解釈も出来るし、日米安保によりアメリカの軍事力により護られたと解釈する人も居る。

しかしながらこの平和は、所詮、日本一国の事でありこの80年世界のどこかで悲惨な戦争は常に繰り返されてきた。ではこのような悲劇を繰り返さない方法があるかと言えば、誰もが口にする話し合いと言う簡単な解決方法しかない。ところがこの話し合いを成立させるためには、どうしてもある前提が必要になる。それはお互いの価値観が共有できればという条件だ。ところがこれさえも自分の利益か他人の利益か、或いは利益とはそもそも何なのかと言う話になる。

ところで、このようなことを考えていると、先の大戦で起こった悲劇を思うにつけ、日本はこれを避けることが出来なかったものかと考えてしまう。これについてもやはり様々な陰謀論やデマが飛び交っている。とはいえ当時も日本はアジアに先駆けた民主主義国家で有ったので、当然選挙により国会議員が決められ、これにより国の政策が決められていた。つまり戦前は軍国主義国家と言う見方は間違った捉え方になる。今から思えばこのような無謀と思える事態に至ったことも、有権者に正しい世界情勢が伝わっていなかった可能性が残る。結局これにより民意が戦争止む無しに動いたことが、あのような戦争に向かう原因になったのではと思っている。因みに日本にどれほど民主主義が浸透していたかと言えば、戦前、戦中いかなる状態の時でも、日本は選挙を蔑ろにすることはなかった。その一方で、民意を形成するための当時の報道は、果たして公平性や確実性を保てていただろうか、疑問が残る。と言うのもウクライナ戦争の報道では、アメリカがNATOを抜けてもEUは戦争継続が可能であるような報道が見られる。つまりこのような報道によってマクロン大統領はEU加盟国に戦争継続を訴えているのだ。とはいえ冷静に考えれば、NATOの軍事費の7割を負担してきたアメリカがNATOを脱退した場合、これからEU各国でアメリカが抜けた7割の軍事費を負担できるだろうか。

もっとありえないと思うのは、その装備品のほとんどはアメリカの装備で、しかも軍民で利用されているスターリンクは一体誰が管理しているシステムなのか考えれば、アメリカ抜きの戦闘は目隠しをして綱渡りをするサーカスに等しい。ところがこれほど勝ち目のない状況なのにもかかわらず、EUの報道を見ると無責任なコメンテーターによって、戦況がさも勝ち目がありそうに伝えられ、これにより民意は正しい判断を失っている。しかもこれに対峙するアメリカもロシアも大陸ほどの領土を持ちエネルギーや食糧のすべてを自給できる状態にあるのだ。

ところが、これよりさらに恐ろしい状態にあるのが我が日本ではないだろうか。というのも日本はEUと同じくエネルギー資源には恵まれない国で、そればかりか食料の自給率はEUよりも数倍危険な状態に思える。またエネルギーについて言えばその9割を12,000㎞離れた中東に依存し、しかもそれを日本まで運ぶためには、狭いマラッカ海峡を通りこの膨大な距離の船旅を安全に終えなければならない。ところが憲法上交戦権を持たない日本はこの船旅の安全瀬すら確保できない状態にある。もし日本に対峙する国により経済的にでもこの地域の海上封鎖に合えば、自衛隊でこれに対処することは極めて難しい。因みに大戦中最も悲惨な戦場として語られるのは、南方の島々に置き去りされた兵士の話だ。この時の飢餓は様々な書物で語られているがその悲惨さは想像を絶している。私は戦争によるこのような惨状を思うにつけ、現在の呑気な政府の対応には恐怖を感じてしまうのだ。そればかりか、戦前戦中と国民の認識を混乱させるマスメディアの偏向報道も国民を勝ち目のない戦争に向かわせる一因のように思っている。

さてこのような日本の危機的状況で天皇皇后陛下は大変過密なスケジュールにもかかわらず、大戦中の激戦地硫黄島を慰霊された。硫黄島と言えば東京から1200㎞以上離れた約30km四方の小さな島だ。80年前この島で日本軍2万人とアメリカ軍25万人が戦火を交えた。ところが当初の予想に反し、これほどの戦力差にもかかわらずその戦いは1か月ほどに渡る激戦になった。結局これにより日本軍は1千名の捕虜を残して、そのほとんどが遺骨すら帰らぬ状態になってしまった。それでは何故これほど執拗に日本軍はこの島を守ろうとしたのかといえばこれにより日本本土に対する爆撃機の護衛を許さない為だった。では一体これ程勝ち目のない状態に陥りながら、日本軍は後世に何を託そうとしたのだろうか、哀れみなどでは無いことは誰もが思うところだう。私は彼らの思いとは祖先から大切に受け継がれてきた美しい日本の魂をいつまでも後世に残したいという願いではなかったかと思っている。

4月7日、天皇皇后陛下によるこの日の慰霊は、絶海の孤島に今も眠る将兵にとって何よりの慰めになっただろう。

「悲しさの 地に留まりて願わくは 礎とならん 我が君のへに」

gallery,ようこそ

Posted by makotoazuma