春望録
2025年 4月23日 絶対あかんやつや!
今朝の経済番組で日米関税交渉が取り上げられていた。番組によると自動車関税の見直しの代わりにアメリカ米の輸入を促進させる取引が検討されているそうだ。確かに日本はいま謎のコメ不足に襲われ米価は昨年以上の高騰ぶりだ。とはいえ昨年の作況指数は102と前年101の平年並みよりやや良の評価を得ている。一昨年の平均並みの収量でも店頭から米が消えるというのは考えづらく、まるで米が神隠しにあったくらいの不思議さで、今回の事態はさらにその上を行く異常事態なのだ。
今回農水省のHPでも収量について確認してみたが、そこには昨年批判を浴びたコメの大きさを選別する網目の大きさまでデータとして掲載されていた。このような仕事を見れば、きっと農水省のお役人はそのような批判にも対応できるよう万全の態勢で臨んでいたのだろう。しかしながら実際は日本の市場から米が消え、さらに備蓄米まで駆り出してもコメの値段は下がらないという事態に及んでいる。このような事態に巷では奇妙な噂話が流れている、それは海外では日本のコメが日本より安い値段で店頭に並べられているという。たしかにそんなことがあれば日本の店頭から米が消えてもおかしくはない。神隠しだと騒ぐよりずっと辻褄が合うことになる。
さてこれが事実だとすれば、こんなことを個人企業ができるだろうか。というのも農産物といえば国民の命に係わる重要な輸出品目だ。なので、通常農産物が関税の話題になれば一番揉める品目になる。つまり農産物がたんなる金儲けの位置づけで収まらないことは一般人ならともかく、国政を預かる政治家が理解していなければ国民の命は守れないのだ。
そして更に大きな問題は稲作は日本の成り立ちそのものに深く関わる尊い農産物であることだ。このことは古事記や日本書紀にも記載され、天孫降臨の記述では天照大御神からこの地を治めよと遣わされた邇邇芸命は天壌無窮の神勅と合わせて高天原に所御す斎庭の穂を授かるとある。つまり稲穂は日本人にとって天から授かった神聖な授かりものであり、これより造られるお酒もまた極めて神聖なものである。これほど神聖なものを目先の取引に使われては日本の歴史に対する冒とくとしか言いようがない。
とはいえこのような危険性は今に起こった事ではなく、恐らくこのレールはかなり前から引かれていたように思える。というのも昨年、秋田こまちが重金属を吸収しないように放射線を当て品種改良を行ったという記事を読んだことがある。その理由に挙げられたのがコメの輸出時に相手国の安全基準に配慮したのだという。つまりこの時、これからのコメは海外への輸出品になることがすでに前提になっていた。と言う事は今の日本では、海外に依存する基準が強く日本の農業に影響を及ぼしているのだ。つまり、トランプ政権が誕生する前から日本の農政は、このようなグローバリズム経済に飲み込まれようとしていたのである。今回の関税問題で、日本のコメをこの材料として取り扱えば、お互いの文化や宗教を尊重するというトランプ革命の基本にある自国ファーストという価値観に真っ向から反することになる。
ここでもう一度、整理しておきたいのは、お米は自動車の利益に釣り合うほど儲かる商品だろうか。日本人なら知るように稲作は苗代から田んぼに移して丁寧に育てられる。その育成には88もの手間掛かると言われるくらい面倒で、痩せた土地でもニョキニョキ生えるトウモロコシに比べれば、遥かに手間がかかてしまうのだ。つまりその分儲けは薄い農産物だ。なので今日本のコメ農家は瀕死の状態といって良いにも拘らず、ここにきてさらに価格の安いコメが輸入されれば、日本のコメ農家は立ち直れないほどの打撃を受けてしまうことになる。その結果、荒廃した土地は海外からどんどん安く買いたたかれ、これにより日本の国土全体がすでに国防上の危機があると言われている。要するに日本の農業の崩壊は地域の崩壊に繋がり、このまま海外から土地を購入され続けば、アメリカとの同盟関係すら成立しなくなるだろう。このことは貿易収支では収まらないほどの脅威をアメリカ政府に与えるはずだ。
しかも私はこれを農産物だけの問題ではないようにとらえている。というのもこのような日本文化に対する攻撃はもっと深い所で始まっていると感じるからだ。というのも現在与野党の他、巷でも経団連、連合のような勢力が結集して推し進める選択的夫婦別姓問題がある。これがこの時期、何故これほど推進しようとするのか理解が出来ない。もしこんな法案が通れば、すでに様々な問題を引き起こしているLGBTQのごとく社会的混乱を招くことは目に見えている。しかも目の玉が飛び出るほどの高額予算を付けた少子化対策を支えるどころか、これにより婚姻そのものが躓く可能性を孕んでいるのだ。結局私には彼らの望みは社会秩序の混乱にあるように感じてならない。
そして恐ろしいことに、今の国会では、岸田政権以来、国民が許容できない法律が次々国会を通過している。私がこのように断言できるのは支持率ばかりを言っているのではなく、今回の衆院選でも単独過半数を維持していた政党が連立を組み、しかも政権を握る与党でありながら惨敗するという明快な国民の審判が下されていた。このような状態にもかかわらず、何事も無かったかのように野党を抱き込み、しかもさらに理解不能な愚策を国民に押し付けているのだ。つまり彼らの目的とするところは男女性という人類に与えられた事実を、人の解釈で捻じ曲げ、司法という社会的良心を破壊し、さらに今度は家族という人間が最も強い拠り所とするところの絆にまで、他人の判断を持ち込もうとする危険極まりない法律を国会に通そうとしている。そして最後は日本人の信仰にも深いつながりのある米文化を金儲けの道具に貶め、日本人がこれまで命を懸けて守り続けてきた誇りに対して破壊工作を試んでいる。
悲しいかな現在日本の国会はこのような日本文化の破壊を試みる議員達に牛耳られ、国民の意見も顧みられず民主主義の崩壊を迎えている。とはいえ議員の中には国民の立場を理解し、国会では立派な質問をされている議員が存在することも事実なのだ。私はこのような人材が結集すれば、日本にはまだ再生の可能性が残されているものと信じている。
その為には未だ最大与党である自民党議員が自らの手で政権交代を果たし、高市議員の基に結集するこにより日本再生の狼煙を上げてくれることを期待している。これが出来れば参院選で厳しい予想の比例票も再び戻る可能性が出て来る。政党にこのような流れが生まれれば野党に燻ぶる人材も、きっとここに集うに違いない。勝敗は選挙前に、心ある自民党議員による弾劾覚悟の政権奪取に掛かっている。