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今昔問答

2025年7月26日ようこそブログ

2025年 7月25日 何故暴力は無くならないのか。

それば暴力以外解決の手段が見つからない場合と暴力行為そのものに価値を見出している場合があるだろう。とはいえ後者は甚だ陰謀論めいた世界の話になってしまう。今日は前者の暴力以外解決手段が見つからないという事態にスポットを当ててみたい。

今日、何故このようなテーマを選んだかといえば、先の参院選中候補者や支援者に対し、SNS等での誹謗中傷が沸き起こっていたというニュースを目にしたからだ。私はこのような事態が拡大すれば、いずれ大きな暴力事件に発展しかねないと心配している。一般的な社会生活では、いきなり暴力を奮いだす人は稀で大概の場合、最初に言葉で相手を非難するはずで、その結果を受けようやく事態の解決は暴力しかないと言う事態になる。

ところでこのような話し合いが成立するためには、お互い共通の価値観を持っていることが前提になる。因みに私の認識している最も重要な価値観といえば基本的人権と民主主義がある。ところが、この2つの価値観は厳密に言えば対立する関係にある。例えば基本的人権では、個人の生存権が、すべてに優先する価値観と捉えられている。これに対して、民主主義は基本的にそれを適用する社会が必要で、そのためその社会を維持するためには、個人の都合よりもまず、多数の意見が優先されてしまう。しかもこればかりでなく、自由、平等、博愛など様々なイデオロギーが盛り込まれれば、これをすべてクリアーできる文章を考えれば、文章は更に複雑さを増してしまうのだ。

つまり、現代の民主主義国家といえば、構造的にそもそもが、このような矛盾を抱え込んだ社会なのである。もしここで私がこのことの優先度を問われたとすれば、私は民主主義つまり国家が優先と答えてしまうだろう。というのも今の私に、社会インフラのまるで整わない環境でサバイバルゲームのような生活を1週間でも続けることは不可能に近いと思うからだ。今日のように私がテレビを観ながらのんびり暮らせるのも、これまで祖先が残してくれた膨大な社会インフラのお陰だと思っている。

だからこそこれから、この国で暮らしていく方には、より安全で風通しの良い社会で暮らして欲しいと思っている。そのための民主主義という仕組みは、我々国民が何より大切にしていかなければならないと思っている。

結局、SNS等による誹謗中傷は明らかに目に見えない暴力に違いない。とはいえ、その前段階で何故そのような誹謗中傷が沸き起こってしまったのか、これに耳を傾け誤解があればその誤解をただすことも、国政を預かる政治家にとって大切な仕事だと思う。そうでなければ、そのような意見の行き場がなくなり、それにより暴力的解決の道に向かう危険性すらある。今回の選挙のように国民のハッキリとした意思が示されたのであれば、この結果を重く受けとめ進退を表明することが民主主義国家に対する責任の取り方になる。

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Posted by makotoazuma