今昔問答
2025年 7月26日 社会にとって最も大切なこと
それは信用というものだろう。これを具体的に言えば、世界の経済のほとんどがこの信用によって成り立っているのだ。
さて、個人的にこの信用力を手に入れるために最も確かな方法は、信用の実績を積み上げることだ。要するに借金をして滞りなく借金を返済することが、金融の世界では信用になる。したがって個人の信用とは過去の実績により得られるものなので、その場限りの言動で約束を守らない人は、社会的信用など得られるものではない。
さて、ここまでは一般人が普通に暮らして得るための信用について述べたが、これよりさらに厳しく信用が問われる職業がある。それが代議士、政治家というものだ。というのも、政治家といえば、選挙中伝えられる公約など宣誓書を書かされるわけでもなく、むしろ公約など無かったことにしても逮捕されることすらない。むしろ国会開催中は逮捕すら出来ない特別な特権を得た人たちなので、彼らが誠実に国民の意志を示してくれるかどうかは、最終的に彼らを国会に送った有権者の責任なのである。
さて、様々な情報が簡単に記録できるようになり、誰でも閲覧できるようになった現在、簡単に政治家の発言や行動を相当前まで遡ることが出来る。つまり政治家から過去から一貫した政治哲学を貫いてきた人なのかどうか、すぐに白日の下に晒されてしまう時代に成ってしまったのである。このような政治家の赤裸々な事実を目の当たりにすれば、この政治家がその場しのぎの発言で議席にしがみ付いてきた人なのか頭の中が透けて見えてしまうのである。要するに、頭の中がその場限りの政治家には、その言動にもまるで一貫性がみられないことになる。結局、このような政治家にとって国民に対して何を果たそうと言う事もないので、自分が政治家でいられることが最重要事項なのだ、つまりこのような人にそれ以上のことを求めても時間の無駄というしかない。
ところが政治家の恐ろしいところは、そのような人が権力を手に入れた場合は、世界の歴史を辿れば国民にとってあまりにも残酷な悲劇が待っている。このことは現在のウクライナ情勢を見ても明らかなのだが、今の日本の状態は、これが他人事で済まされぬ恐怖を感じてしまう。つまり日本にとってこれは明らかな国難なのである。
しかもこの国難は民主主義の帰結である選挙の結果を受けても、何事も無かったかのごときであり、これに対する政治家の反省は全く見られないからだ。つまり民主主義を大切に思う思考がこの政治家には欠落している。
要するにこのままの政治が続けば、日本国民の生活が豊かになるどころか、選挙前に政府から提出され審議されていた議案から想像できるのは、弱者のための福祉の切り捨てと更に重い負担を強いらせようという発想の政治が続くことになる。一方何故か海外への支援は躊躇なく行われ、一昨年の暮れには、あろうことか軍事支援までもが、突如涌き起こった帳簿不記載事件の影に隠れ粛々と国会を通過してしまった。
不思議なことに国軍の保有は戦争に繋がるといって日頃から平和を訴えている政治家達も、これについて何ら異を唱えることがなかったのである。これでは、憲法9条改正は戦争に繋がるという推論だけの問題と、軍事物資の支援は、ロシアに対する戦争行為だとロシア側から明確に示されている問題と、彼らにはどちらが日本にとって危機なのか判断が付かないらしい。
因みに昨日も想像の付かない出来事が起こっていたようだ、なんと憲法改正反対を訴える勢力により、憲法改正を党是とする代表が擁護されるというデモが企画されたそうだ。それにしてもこれ程の不条理がまかり通ってしまうのは、彼らにとって日本国民の知性など取るに足らないものだと思っているからなのだろうか、彼らは厚かましく、これほどの自己矛盾も全く意にかいさないのである。私は政治家というものは信用が第一であり、その信用は国民に対してどれだけ誠実かが求められているものと思っている。ところが彼らの行動を見れば、その最も大切な国民の思いは顧みられず、国民にとって良心の反映である弱者救済の福祉まで平気で切り捨てようとしたことだ。そんな政治姿勢にちょうど嫌気がさしていたところだったが、驚いたことに普段弱者救済を看板に掲げる彼らが、このような政治に反旗を翻すでもなく、かえって日本の弱者を顧みない政治家を擁護しようとするのだ。これでは、勝手な想像になるが、彼らは日本国民の生活を慮らないという政治家と見えないところでは確り繋がっているのではと疑いたくなる。