今昔問答
2025年 4月21日 良い木になる実
その木が良い木かどうかは、その木がどんな実をつけるかで分かると言う聖書の言葉がある。当たり前と言えばそれまでだが、この言葉が今日まで大切な教えとされている背景には、人は外見では捉え難いと言う経験が誰にでもあるからに違いない。
それとは逆に口から入る物は毒にはならないが、己の口から出ていくものが人を滅ぼすとも書かれている。つまり自分の内面に目を向けることが自分の救済になると言う事なのか、いずれの言葉も我々に言葉がどれほど当てにならないものかということを示しているようだ。
私は最近特に言葉というもには当てのなさを感じることが多くなった。特に思うのが差別用語と言う言葉狩りにも近い社会的抑圧だ。昔立川談志の枕に「人殺しと言っても騒がれないが、犬殺しと言えば大変な差別だと騒がれると云って、適正な言葉遣いの注意喚起があった」なるほどと思うが、このため未だに公共の電波に載せられないアニメの名作が次々生まれている。みなしご、孤児院などの風俗が描かれるアニメはここ最近特に目にすることが無くなった。
ところが、こんなことを真に受けていると、世の中大変な事に成る。というのも嘗ての政権下におけるアメリカで実際に起こっていた奇妙な実例がある。例えば公的機関においてクリスマスの飾りつけなどがされていれば、公の場でキリスト教だけが優遇されるのは不公平ではないか、悪魔も同じ立場で扱われるべきだということが、実際にあったそうだ。これにより公的機関では、クリスマスなどの飾りつけは、これに配慮して悪魔を示すモチーフも公的場のクリスマスツリーにも飾りつけられたという。
つまりかつてのアメリカでは人類にとってそれぞれが何をもたらす象徴なのかを問題にするより、差別自体が怪しからんという風潮になっていたと言う事なのだ。ところがこのような不思議な光景は、アメリカばかりでは済まなかった。昨年オリンピックが開催されたパリのノートルダムでは堕天使がその尖塔によじ登り、街中を一望している映像を世界中に配信していた。そればかりでなくフランスの地方都市においても、クリスマスの飾りつけにやはり悪魔を象徴させるヤギの頭や性差分からない人物のモチーフが街中に飾られ気持ちが悪くなった。これを固定観念からの解放というシュールな理解で捉えることもできるが、街中これなのかと思うとぞっとする。というのもキリスト教の教えを思えば、そこには、人種を超えた人類の繁栄が約束されているはずだ。対する悪魔が象徴するものは目先の快楽とそれに付き従うものだけが優遇される退廃の世界ではなかっただろうか。私にはこのように特定の者だけが優遇される世界の象徴をあちこちに飾りつけこれをフランス国民の税金で賄われてしまったことに憤りさえ感じている。
ところで現在様々に揶揄されるトランプ政権だが、その政策がどのような実を結ぼうとしているのか見れば、その政策が人類にとって良い実を結ぶか、悪い実を結ぶのか一目瞭然のはずである。現状では関税問題だけに焦点が向けられているが、その本質的なところに理解は向けられているだろうか、私は世界各国が現在抱える問題の解決としてアメリカの政策は、理にかなっている政策と思っている。というのもこの政策には論理的な筋道が備わっていると思っている。とはいえ今この政策が理解しづらいのは、その実行にあたってはあらゆるケースに対応することを念頭に多様な対応が試みられていると思っている。つまり現在の関税問題はそのうちの一つの戦術であり、もっとも分かり易い例えが、これはアメリカに対して敵か味方かの試金石だというものだ。
さて日本についてみれば、日本は大臣自らが赤い帽子を被り世界中にMAGA支持のポジションを表明した。このことはアメリカの和平交渉にも日本が同調したと受け取られているはずだ。というのもある写真の大臣はトランプ大統領の横に立ち、まるで参謀が如く微笑んでいるからだ。この写真を見れば世界各国は言葉以上のメッセージを受け取っているに違いない。そのためこの大臣を派遣した日本の首相は、この事実を真摯に受け止め世界各国の模範となる対応をしなければならない。
ところでハフポストの日本版に4月17日トランプ大統領のホワイトハウスで行われたメローニ首相との会談において、記者から受けた質問が取り上げられていた。記事のよると、トランプ大統領はフランスの植民地だったコンゴから人が押し寄せている、それが何かは分からないという意味深な発言があったそうだ。この時の会談相手であるイタリアのメローニ首相といえば、これまでに移民問題に対し厳しい発言をされてきた。この記事によると記者はメリーランド州からエルサルバドルに誤送された不法移民の強制送還に大統領の関与を尋ねたそうだ。この質問に大統領は関与を否定した後、世界中の刑務所から囚人が解放され南米ばかりではなくアフリカコンゴからもアメリカへの侵入があったと言うのだ。要するにアメリカはそのような入国者にも常に目を光らせていなければ自国民の安全は守れないと言う事なのだろう。とはいえこのようなことが世界同時多発的に起こっているとすれば、これはたんなる個人の事情によって起こっているとは考えづらいのではと訴えているのかもしれない。
さて、トランプ革命や不確実性など様々な捉え方をされるトランプ政策だが、これらの政策から私が最も強く感じることは、やはり国民が安全に豊かに暮らせる社会というビジョンだ。しかもこの政策が革命的と思われるのはお金という我々が今も信じて疑わない価値に対して根本的な処から目を向けていることだ。このような発想が出来る人は私が知る限りどこにも存在しない。しかもそのような考えを持てる大統領がアメリカに誕生したといのは奇跡と言ってよいだろう。私が日本でこの考えと足並みを揃えることが出来る人材がいるとすれば、それは日本に経済安全保障という実を付けた高市早苗氏よりないと確信している。