日々これ切実
2025年 8月16日 使命
前回放送されたべらぼうを視ながら思わず引き込まる台詞があった。前回も石坂浩二氏演じる松平武元の台詞に感じ入ってしまったところだが、このドラマの切り口の鋭さにはただならぬ覚悟を感じている。例えば松前藩の表現など北海道民としては、もう少しお手柔らにと思うほどだ。というのもドラマでは妖怪ぬっぺっぽうに例えられていた蠣崎波響だが、実際展覧会でその絵の前に立と、作者は生真面目でありながらも政治力に長け、マルチで才気あふれるちょうどベラスケスやルーベンスのイメージと重なっていたからだ。
とはいえこれは限られた時間で完結させなければならないドラマのことなので、ここに口を挟むのは野暮というものだ。それにしてもこの脚本家がドラマに織り込む台詞の力は見事というよりない。今回も創作に悩む歌麿に対し再会を果たした鳥山石燕が語る台詞が私の胸に刺さった。
因みに創作といえば漢字二文字で済まされてしまうが、実際、作家がここに込める思いは、まさに身を削る思いに近い。というのも創作といえば、まだこの世のどこにも存在していないものをこの世に生み出すことに他ならない。つまり、誰も知らない正解をこの世に表現し鑑賞者を納得させなければならないからだ。
とはいえ、答えを誰も知らないのならすべてが正解になるではないかと思われるかもしれないが、ここにはちゃんともう一つの厳しい仕切りがついている。それが作品が商品として他者から求められるかどうかだ。これによりこの創作物の価値、いや作品の命が決まって行く。
そんなことを思えば作者は他者が何を求めているのかの方が、いつの間にか創作のモチベーションとなり、これでは自由な発想の創作活動とは程遠いものになってしまうのだ。前回のドラマではそんなやるせない思いに沈んでいた歌麿に片岡鶴太郎演じる鳥山石燕の台詞がグッとくる「見えている人間には、それを絵にする使命がある」というものだ。つまり心に浮かぶイメージの具現化こそイメージを受け取った者の使命だというのだから、やはりそこには他人の評価は存在せずその評価も自分の納得でしかないことになる。
しかも、現実世界でも画仙人たる片岡鶴太郎氏の風貌は、ドラマのキャラとは思えないほどの説得力がある。とはいえ、私のように昔ビートたけし氏のオールナイトニッポンで、高田文夫氏とたけし氏にいじられながら業界デビューを果たしたころのイメージがつい浮かんできてしまい、俳優としても存在感を増す一方の氏の活躍に昔とは隔世の感を感じている。そういえば「キューちゃん」って何のギャグだっただろう。