日々これ切実
2026年 6月7日 江戸と上方

昨日落語研究会の放送は人間国宝五街道雲助氏による「淀五郎」から始まった。内容は忠臣蔵の浅野内匠頭切腹の場面でこの役が体調不良で倒れたことにより、急遽沢村淀五郎という役者が大抜擢を受ける。そしてこの大抜擢を促したのは一座を率いる市川團藏でこの場面の主役大石内蔵助を演じている。ところが切腹の段にようやく駆け付けたはずの大石内蔵助が、花道の途中で止まったまま動こうとしないのである。あとから淀五郎がその訳を聞こうとするが、團藏の言葉には要領を得ない。このようなことが3日間も続き、とうとう淀五郎はこれに耐えきれず舞台の上で團藏と刺し違えることを決意する。
とうとう淀五郎は世話になったお歴々に最後の暇乞いに出かけたが、その様子を察して中村仲蔵は淀五郎に稽古をつけ、ようやく團藏から認めてもらうことが出来たというお噺だ。ところで中村仲蔵といえば、この名前と同じお芝居や落語があるほど有名な役者だ。というのも淀五郎が演じる4段目の浅野内匠頭に比べ、遥かに格下の五段目に登場する斧定九郎という役に死ぬほど思い悩まされたという苦労人なのだ。だからこそ目の前の淀五郎がどれほど追い詰められた状態なのか手に取るように察しがついたのだろう。
ところで淀五郎の才を見抜き大抜擢した市川團藏だが、冷静に考えればこの芝居を外して最も非難を浴びるのは座頭である市川團藏のはずである。だとすれば、このとき淀五郎に一刻も早く気づきを与えたかったのは團藏だったのではないだろうか。ところが、あえてそうしなかったのは、この役を任せたからには大看板を担う覚悟を淀五郎にさせたかったからではないだろうか。五街道氏の噺にはそのような重荷を背負わなければならない者の厳しさを感じた。
ところで、今回も解説の芸能史研究家宮信明氏のコメントで、沢村淀五郎が東洲斎写楽の役者絵になっていたという情報があった。東洲斎写楽の役者絵といえば先の大河ドラマで様々な絵師がこれに関わったとされていたので想像力が掻き立てられてしまう。
さて次に登場した柳家㐂三郎氏、枕で吉の字が草書体で文字変換できないと嘆いておられたので、ネットを覗いてみるとちゃんと変換されていたので、私はその瞬間頭山の鮒のような心境になった。その心は「釣られたー」で、ちなみに私は初めてお目にかる噺家さんだったが雰囲気のある方なのでますます人気が高まるに違いない。
今回のトリは桂吉坊氏だった。久しぶりの登場に感じたが、いよいよ貫禄が漂ってきた印象を受けた。また小気味のいいテンポは相変わらずで、すでに上方を代表する噺家さんの域なのだろう。ところで、今回のお題は冬遊びというお噺なのだが季節は真夏だそうだ。そして舞台は大阪新町の廓噺と言う事になる。廓といえば「べらぼう」に登場した蔦谷重三郎が活躍した世界とこれまた繋がってくる。この噺に違いがあるとすれば江戸と上方の文化の違いだろう。そのことは、この噺の中でも強く感じた。要するに、この違いは武家社会と商人社会の面目たいする違いのようで、簡単に言えば身分や武力よりも、お金がものを言う時代の到来と言う事だろう。
ここで気を付けなければならないのは、この噺はお金さえあれば道理が引っ込むということを言っているのではなく、商人の社会であっても筋を通さなければならないことがあると云うことだ。おそらくこの噺に出て来る堂島のおじき達も、お練りの事前周知がなされなかったことに腹を立てこのような暴挙に及んだのだろう。つまり仁義を欠いちゃいけないのは江戸も上方も一緒のようだ。