ゾクゾク盾つく虫も好き好き
2026年 6月19日 疑惑

先日、茨城県下妻市長須藤とよじ氏が八千代町内の排水路で亡くなっているところを発見されたという。これに対し現場を検証した警察からは自殺の可能性が高いという発表があったそうだ。ところで巷では、この事件に対して様々な噂が流れている。というのも亡くなられた市長は3か月ほど前の市長選で、現職を僅差で破り当選を果たしたばかりなのである。つまり、ようやく念願の当選を果たし、これからようやく支持者の期待に応えていかなければならない立場だったからだ。だとすれば、これを自ら放棄するようなことは道義的にも考えづらいというのが世間の見方だ。
それでは、この事件がこれほど世間の注目を集めるのは一体何故なのかといえば、亡くなった市長が不法移民政策に積極的に取り組んでいたとされるところだ。こうなると極右のレッテルを貼られるような人達は黙っていられなくなる。「やられたー」という気持ちになるのも無理はないのである。というのも昨年9月にあったドイツの地方選では、極右と云われるAFD党の候補者が選挙中7人もたて続けに亡くなるという怪事件が起こっていたからだ。だからと言って確かな証拠もないうちからこの件を事件だと決めつけるのも危険なことに違いない。とはいえ、この件で最も危険なのはこのような出来事に怯えて、現実の不法行為に目を閉じアンタッチャブルの世界を見過ごすしてしまうことだ。
ところで国家というものがあるから、世の中は不自由で戦争が絶えないのだという考えがある。なるほどという気持ちになるが、この考えが現実となるためには、大道廃れて仁義ありという言葉が実現社会に通用していなければならない。つまり、裁判官も警察もいらな世界なのだが、これを実現させようと取り組んでいる人を私はまだ見たことがない。それにしても基本的人権くらいは最低限守られるべきものだと思うが、ではこれを誰がどのように守るかと言う事になれば、やはり国家という枠組みがどうしても必要になってくる。つまり、国家とは民主主義を実現させるための枠組みでもあるのだ。ようするに民主主義とは、正しさという絶対的なイデオロギーではなく国家という枠組みにおける数の優位性でしかないのだ。