今日のできごと
2021年 1月8日 聖人へのあこがれ
人は、自分を超えたものに憧れます。自分よりテストの点が何点高かったとか、稼ぎがいくら良かったとか、でもこのくらいなら、いずれは、自分もってこともあると思うんですが、我欲を捨てた聖人とか、無理を承知で憧れる方がいます。
でも、同じ結果に至るには、同じ道をたどる必要があるのでは、と思うのですが。それほどの思いをして我欲を捨ててどこに行きつくんでしょうか。私は朝目覚めた瞬間から、オシッコをしたい欲に促され、再び眠りにつくまで一から十まで欲の充足のために生きています。
それでなんの不都合も生まれません、私が、困るのは、恐れです。それは、欲の前に立ちはだかって、今、自分の欲求が満たされて幸福を感じたとしても。恐れが、耳元で「次は、こうは、いかないかもしれないね」なんて囁かれたらどうでしょう。
欲が満たされた満足よりも、次がない恐怖に意識が向かって、つぎの、欲がやって来る前に、何とか恐怖を解消しようとします。つまり、一度、恐怖のループが出来ると、人間の欲には限りがなくなってしまうのです。2003年 『force-3surprise』 欲とは、生き物が生存を維持するために先祖代々受け継がれてきた大切な遺産です。われわれが、手放さなければならないのは、欲ではなく恐怖です。欲に、恐怖がくっつくと、欲に際限がなくなるからです。そこで、恐怖とうまく付き合う為には、どこから恐怖が湧いてくるのか、その出所を理解することが必要なんですが、言葉で理解するより、簡単な方法で、恐怖から逃れる方法があります。
それが、メディテイション・瞑想です。是非、恐怖も何も起こらない世界を体験してください。それで満足が得られなければ、貴方には聖人になるという天からの使命が、きっとあるんです。