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 今日のできごと

2021年9月14日gallery,今日のできごと

 

2021年 3月27日 自分て何!

 

【人は何故自分を知ろうとするのでしょう?】

 

こんなのにはまると、猫がただ微睡んでいても思索にふける哲学者ように見えてきます。いきなり脱線、失礼しました。私がこのようなことを考える時は、きまって自分の存在に息苦しさを感じている時です。こんな思いを感じながらも、なぜ、自分の命にしがみ付かなければならないのか、人生にはこんな苦痛を乗り越えてでも存在しなければならない理由があるのか。最近の私はそんな理由は無いとおもっています。

 

【本当の自分】

 

話を進める前に、そもそも、自分という言葉の定義について共通の認識をもって頂ければと思います。ではストレートに自分とはいったい何でしょう。私は認識のゴールが、自分というものだと思います。感じたことの末端が自分です。なぜなら、あなたが感じたことはあなた以外必要のないことだからです。ちょっと冷たい言い方ですがお許しください。もう少し丁寧に言うとあなたがいようといまいと雨が降ったり風が吹きます。そのことを冷たいだの熱いだのというのがあなた、つまり自分です。自分という感覚が、おこった出来事についての評価をしているだけです。ここまでならどうということも無いのですが問題は次です。

 

【その評価は、自分にも向けられる】

 

さて、私には、ここが息苦しさの原因ではないかと思われます。自分の外で起こっていることにだけ自分の評価が向かえばいいんですが、ときどきこいつは、自分を裏切ります。つまり自分を平気で評価してくるんです。もともとこの評価は社会生活の中で自分の命を維持するための、限りなく世間よりの評価です。そして認識のゴールが自分と言いました。とすると自分の悪い評価には逃げ場がありません。評価が改善されなければいつまでも吹き溜まりのように積もってゆきます。実はこれ非常に危険な状態でなんです。健康に被害が出ます。

 

【自分の評価は正しいのか】

 

それが、ちっとも正しくないというのが私の結論です。ここまで来てやっと今日のタイトル「自分て何!」にたどり着きました。では、ここまでの流れに共感されている方にお伝えしたいのが自分の捉え方です。それは、自分とは丸なのか、四角なのか、「丸です。」というのが、普通の平面的な回答です。ところが、視線を変えたり環境が変わることで自分の見え方が違ってくるというのが立体的な見方です。下の図をご覧ください。円柱、円錐、球です。視線をずらすと円柱は四角に、円錐は三角に見えます。これを立体の真上から見るとすべてが円に見えます。

 

 

ということは立体的に自分を捉える方にとっては、貴方、私の区別はありません同じ丸ですとなります。つまり捉える自分の在り方によって答えが変わっているだけで、本当はどっちも正しいのです。

 

 このことを整理すると、世間ていに迎合した自分の評価が四角でも、立体的にその本質を評価するとすれば、あなたも私も等しく丸です。そして、この話の展開をもっと先に進めると、「そもそもあなたが思っている自分って存在していませんよ」ってことになるのですが、いずれの機会にまたお話ししたいと思います。ではまた

 

 

 

 

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Posted by makotoazuma