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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

早苗とる手元や昔しのぶ摺

この句も背景がわからないと意味が通じません。逆に調べるとほっこりしてきます。では、早苗とりとは何でしょう。稲作の経験がある方には常識なのかもしれませんが、日本人の何割の方が正確に答えられるのでしょうか。芭蕉の句を理解しようとすることは日本を理解するこだと思います。口上が長くなりました。

それでは、早苗とりとは、田植えをする前の準備のことなんですが、米はいきなり田んぼに米を蒔くのではなく苗代(泥土、人間の保育器のようなもの)に籾を植えて育てます。そこで摘まめるくらいに育ったものを田んぼに植えるのですがそれが田植えです。

そして早苗とりとは苗代から苗を2,3株のサイズに分けていく作業のことを言うそうです。そのような作業を田植えに来た女性たちが行います。芭蕉はその時の所作に関心を向けているのですが、女性たちは、楽しそうにせっせと早苗を田んぼに運ぶための木箱に詰めていたのだと思います。

そして、しのぶ摺りとは、もぢり摺りという草木染の技法のことだそうです。この技法は染めたい布をでこぼこの石の上に広げ、表面を直接草で擦ります。すると石の凸凹が模様となり不思議な味わいの染め物が出来ます。とても原始的な染め物なのですがこの石にまつわる悲恋が後に和歌に詠まれるほどの伝承になります。物語はこの地を視察に来た河原の左大臣と長者の娘虎女との悲しい恋物語です。むかし虎女を見初めた左大臣は、虎女と思いを通じ合うことが出来たのですが、そのうち任期がきて都へ帰ることになります。二人は再会を誓うのですが一度離れてしまうとなかなか会うことが出来ません。

虎女が左大臣への思いを募らせながら、石の上でもぢり摺りをしていたところ、その石に左大臣の顔が浮かび上がってきたということです。一方の左大臣も虎女を思い「みちのくの忍ぶもぢずり誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに」と時を同じくして虎女への思いを詩に詠みます。とうとうこの世では結ばれることのなかった二人ですが、その思いの強さがこのような伝承になりました。

そして今も昔も乙女心はこのような伝承に憧れるのだと思います。

ところで芭蕉もこの地を訪れこの石を見物したそうですが、その時、そこで遊んでいた子供たちからこの石が何故地面に埋まっているのか話を聞いたと有ります。おそらく、その辺りは子供が遊び場にしていて、その内ませた女の子は、伝承を再現しようとしのぶ摺りまねをして草木で布をこすっていたのかもしれません。その時の芭蕉は騒がしい子供たちに辟易していたのでしょう、静かに思いにふけることも出来ずに、ガッカリしながらその場を去ったのでした。

ところで、芭蕉が出会った田植え祭りで早乙女たちが苗代を囲みながら早苗を手に取る様子を見ていると、しのぶのもぢり石で出会った子供たちの様子が浮かんできました。今目の前で早苗を手にとって田植えの準備をしている立派な早乙女たちも昔はあの石でしのぶ摺りをして無邪気に遊んでいたのかもしれません。