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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

世の人の見付けぬ花や軒の栗

この句も須賀川を訪れた時の句です。前回駅長と書きましたがこの街の名士、相楽(さがら)等躬(とうきゅう)の接待を受け芭蕉はここに1週間ほど滞在します。地元の句会に出たり、名物を見たり蕎麦などをご馳走になるなど、とても心のこもったもてなしだった様です。

この時、芭蕉はとても興味深い人物と出会います。可伸という僧なのですが、なんと等躬の敷地に庵を立て暮らしていました。もともと西行法師に憧れ、この旅に自分の人生を重ねた芭蕉ですが、ここにきて自分と同じく西行に憧れその暮らしに倣って栗の木の元に庵を結んで、世間とは隔絶した暮らしを営んでいたのが可伸という僧です。

そして芭蕉を招きその庵で開かれた茶会で詠まれた句がこの、「世の人の見付ぬ花や軒の栗」です。

ところでこの句にある栗の花を思い浮かべようとしましたが全然浮べることが出来ません。桜とはえらい違いです。早速ネットを検索しましたが「おお、あれか」というくらい見かけることは有っても花としてどうだと言われれば、全然ワクワクしない寂しい花です。

そんな栗の花に例えて芭蕉は何を表現したかったのか、目の前にあるにもかかわらず世間の人はそこに気づくことすら出来ないもの、それが悟りの世界ではないでしょうか。西行の生き方を通して芭蕉と可伸は同朋という思いに至ったのかもしれません。芭蕉にしてみれば自分が旅に託した思いをここで再確認できたのでしょう、とても印象深い出会いだったようです。