思考ラボ
ユーモアってかなり深い!
いつもご覧頂き有難うございます。先ほど志村けんさんのお話をTVで視ました。無くなられてすでに、5ヶ月程たちますが、皆さんの心中では、まだ活動中のようです。今年は多くの著名人が亡くなれれていると思いますが、その中でも志村さんの影響力に驚かされます。そしてお笑いの影響力の強さにも驚かされます。お笑いの評価ってどちらかというと、あまりいい言われ方をしないんです、どうかすると低俗だとか、下品だとかリスペクトとは少し距離がある世界のようです。これだけ世の中に影響力があるのになぜでしょう。それは、普段人が隠しておきたい部分、人前には出せない部分を表現しているからだと思います。私が好きなアニメにトムとジェリーという、ひたすら猫がネズミを追いかける番組がありました。再放送があればその都度見ていたくらい好きなんですが、内容は、ほぼ暴力行為の塊です。心温まる回もあるのですが、ほんの一部で、現実に起きたらバイオレンスです。
でもそれが可笑しかったんですが、ユーモアの根源を考えた時、私にはどうしても心の闇が見えてきます。それは、暴力であったり、いわゆる下ネタであったり、障害者をからかった表現であったり、全く不道徳極まりないのですが、私はそれでも笑いが好きです。ならば、笑いという不道徳な行為の弁護をしてみたいと思います。
私が考える笑いなんですが、このような心の承認と解放が起きているのだと思います。自分の心に湧き上がる不道徳を認めて、許すことで魂を開放していく、そんな行為が笑いではないかと思います。笑によって、不道徳な感情を抱いた自分を許してあげる。大声で笑うことは解放の宣言であり共感の連鎖を誘発する行為ではないかと思います。
普段は許しがたい行為も実は、自然と自分の心に湧き上がってきてしまう、偽りない自分の感情です。そこに目を瞑るのではなくて、そのように思ったことをしかり認めてしまうと、そこに自然な笑いという反応が起こってきます。周りにいる人にも共感の連鎖が起こってきます、つまり許しの連鎖が起こってきます。人は笑いによって自分を許していくことが出来る、だから人は笑いで癒されるんです。人は、いつも何かしらの許しを求めています。ただし本当の許しは、危害を与えてしまった人からの直接の許しです。それがあるまで、刹那の笑いに頼って自分を許すしかないのです。もしかしたら、あなたの許しで癒され人がいるかもしれません。ではまたお目にかかりましょう。