思考ラボ
2024年 6月23日 1ドル360円
これを知る人にとっては、今のドル円相場はいまだ円高にしか見えない。そして1970年代の日本は大阪万博を終え技術立国としてのプライドをようやく回復しようとしていた。そのことは自動車、家電が世界の市場を席巻し日本の企業は世界の株式市場でもその存在感を増していた。ところが、この勢いに冷や水を浴びせたのがプラザ合意で、アメリカから日本の黒字はけしからんと言われ、政府はこれを解消するため為替を円高に誘導するよう腐心していた。この効果は絶大で経済アニマルとまで言われた日本の企業は、これ以降どんどん世界の表舞台から姿を消していった。この状態はいまだに続いているようで貿易黒字について日本は要監視国なのだそうだ
とはいえ日本の工業力が、その時からすっかり落ちてしっまったのかといえばそうではないだろう、むしろGDPは僅かながらも成長を続けてきていたが、その富を市場に還元させ、あらたな需要を造らないまま、まるで困った贅肉のように、企業は滞留させている。何を言いたいのかといえば、為替だけに注目しても国民が未来に希望を持てる暮らしにはならない。
どういう事かといえばこれほどドルが高いという環境であっても賃金の上昇がそれに見合って上がっていれば、国民生活はこれほどの閉塞感にはならなかっただろう。つまり過去の日本では貿易収支が黒字であれば、その分は国民の賃金に確り跳ね返り、賃金は右肩上がりの成長を続けてきたのである。結局このことが積極的な資金需要を高め、個人消費を活性化させてきたのだ。要するに賃金は右肩上がりになるという暗黙の了解が経済活性化の原動力になってきたのだろう。今では賃金のベースアップは企業経営を圧迫する要因としか考えないのかもしれないが、ベースアップが常態化していた過去においては、誰もがマイカーを持ち、誰もがマイホームを夢見ることが出来たのだ。
ところが、作業効率だ成果主義だという言葉が、何んとかの一つ覚えのように聞かれるようになって以来、日本経済は何を手に入れることが出来ただろうか。私には日本人が購買意欲を失い、未来の展望まで失ってしまっているようにしか見えない、つまりこのような状態を改めずに少子化問題を叫ぶのは、口先だけのパフォーマンスのように受け取られかねないではないか。
話しを整理すると為替は需要と供給のバランスを示すもので、結局は立場によってメリット、デメリットを受ける人が違ってくる。つまりここには正解も不正解もない。とはいえ日本の過去を辿れば超円安の固定金利時代がって、その時の日本はとてつもない黒字を得たにせよそれと同時に、その恩恵はすぐさま賃金に還元されて日本の隅々まで経済を潤してきたのだ。要するに為替の変動が国民にとってどうかという議論よりも、過去の日本にあったように貿易黒字を給与で還元させない仕組みが、日本経済に悪影響を与えているのだ。お金はそれを使う人がいればこそ、その価値を保つことが出来る。そうでないお金はへのツッパリにもならないのだ。