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思考ラボ

2024年9月15日gallery,ようこそ

2024年 8月13日 感情って何?

この投稿でさんざん使ってきた感情について今更ながら、疑問に思っていることが沢山ある。というのも現代人は感情を神経伝達物質による機械的な反応と認識してしまってはいないだろうか。とはいえ私はそのことにここで異を唱えるつもりはない。むしろその先を考えれば、感情とはいよいよ不思議な世界に行着くような気がしている。一般的に感情といえば普通、喜怒哀楽で表される4つの感情を思い浮かべる。例えば感情が最も現れやすい顔の表情に例えると、喜びといえば目じりが下がり口角が上がった表情になる、他方怒りといえば口をへの字に曲げ、目じりが吊り上がった表情をする。しかしながら、これは人間ばかりの表情ではなく、慣れてくると表情の乏しいウサギであっても同じような顔つきをするのが面白い。

つまり感情表現は他者へ向けたメッセージの意味合いを持っていて、しかもそのメッセージは種を超えたルールに基いているのではないだろうか。何を言いたいかといえば、感情は違う個性ありきで存在している。前回の記事から一つの存在とか別の個性とかややこしいが、一つというのが無意識の世界で、これと対になるのが現象の世界でこの世界では個性という分離意識が生まれ孤立という感覚を誰もが感じているはずだ。だから自分の死はすべての終わりと解釈してしまう。話を戻すと感情はこの分離意識を前提に存在している。何故なら感情は他の個性に対するメッセージという側面を持っているからだ。

しかも、そのメッセージ性は種を超えて存在する共通ルール則っているようだ。つまり感情表現は類型的ではあるが一様ではなく、多様な表現が生まれるようにできている。それはまるで感情は常に創造的でなければならないという宿命のようなものを感じるのだ。この創造性こそ可能性への追求であり、現象世界に事象の変化をもたらす宿命的行為と言える。つまり私はこのことが現象世界が拡大していくモチベーションに繋がっていくと考えているのだ。この事象の変化に注目すれば、感情はその伝わり方もかなり曖昧な部分が生まれてしまうに行き当たる。これを機械的な回路に例えれば大変なネガティブ要素になってしまうのだが、逆にその曖昧さが変化の幅を増幅させてはいないだろうか。例えば火に触れれば誰もが、すぐに手を引っ込めるが、ここに現れる感情は怒りであろうか憎しみであろうか、それ以外にも時々これを積極的に喜ぶ人を見かけるが、このような感性は常にマイノリティーであってほしい。話を整理すると感情は他者を前提とした表現に繋がり、これに加えて感情表現は伝達に曖昧性が伴うことから表現には多様性が必要になる。具体的に言えば、感情表現は周りとの共感を求めることがその本質にあるために、周りの環境によっては抑制的な表現や、或いは一般的表現とは真逆の反応を示すことがある。例えば笑うしかないというのは、あらゆる可能性が断たれた絶望的な場面の表現だ。顔で笑って背中で泣くなど感情は他者へのメッセージだと考えれば、このような矛盾が表現に必要になることも理解できるのだ。

さて感情表現の中で最も奥深い感情とは喜怒哀楽で言いう、喜びの世界ではないかと思っている。とはいえこれを快楽主義的に捉えると昔流行ったサイケデリックなどの表現を思い浮かべるかもしれない、或いは瞑想やヨガに親しむ方であればクンダリーニの世界を想像されるかもしれない。確かに求める方向はそこに行着くのかもしれないが、これもまた入り口の一つにすぎず、結局、喜びという感情を突き抜けたところに、最終的な集合意識は繋がっているようだ。つまりこれはまさしくクラウドの世界のようだ。では私に喜怒哀楽いずれれかの道を選べと聞かれれば、私が選ぶのは喜びの入り口に決まっている。

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Posted by makotoazuma