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思考ラボ

2024年9月15日gallery,ようこそ

 

犬に仏性は在るのかと問われて

 

 

 有名な禅問答の公案のようなのですが、阿部敏郎さんのブログから引っ張ってきました。禅の世界ってよくわかりませんが、人生に良い気づきを貰うことがよくあります。

 

 こちらの公案に対して、師匠は「無」という答えを返したそうです。で私は、「犬に聞いてくれ」と言ったら寺から追い出されると思うので、コメントを控えて別な答えを考えようと、自分のブログに戻ってきました。

 

 ではなぜこのような公案が出来たのか、実はお経の中にすべての物に、仏性が宿ると書いてあるそうです。また、別のお経には畜生が悟りを得ることの難しさも書かれているそうです。

 

それでは此処から思考ラボの始まりです。

 

 私の考える悟りとは涅槃についての気づきです。では、私の考える涅槃とは、私は人間の意識の外にある世界を涅槃と考えています。つまり、無意識の世界なんですが、そこには、すべてがある、善も悪も同時に存在していながら、優劣を語ることもなく空間や時間についても有る無しの判断を必要としない世界です。

 

 なので、不足が在ろうはずもなく、不足に陥ることへの恐怖もありませんいたって静かな世界です。では、現世とは何でしょう、本来無意識の中に含まれていたものが何らかの事情で隔てられている状態。

 

それが現世で、欠乏感や不足感が世界を動かす原動力となっている。つまり不足を補うことが生命に刷り込まれた、生きることの動機なのだと思っています。

 

 ところで、この不足感や欠乏感は、生命にとって苦しみと感じるところです。また、この苦しみから遠ざかりたいがため、恐怖という感情も起こります。恐怖とは、苦しみがおこる前の警鐘のようなもので、実際に起こる苦痛以上の苦痛をもたらすことがあります。

 

 私は、悟りが恐怖のオーバーワークに対抗できる唯一のツールではないかと思っています。ここで、現世つまり、意識の世界について確認しておきます。私は、意識の世界は、言語によって創り出された世界と思っています。つまり、言語なくして現世は存在しません。

 

 では、犬の世界はどうでしょう。犬は、腹が減ることがあっても言葉を話すことは在りません。まるで、無意識の世界で暮らしているようなものです。悟りを求めるということは、意識の世界で暮らし、無意識との隔たりを認識できて初めて起こるものだと思っています。果たして犬は、意識の世界で暮らしているといえるのでしょうか。恐怖におびえることはあっても、意識下にある世界と、無意識にある世界を隔てて認識することは無いと思います。

 

 と考えると犬は、もともと仏になりたいとも思わない存在である。それが、犬ではないかと思います。なので、私の答えは、犬は、無意識や涅槃から生まれた存在であったとしても、そこへ至るための行動をとることは無い。仏性はあっても、仏になろうとはしない存在。仏陀にはならないです。こんなこと誰も期待していないのですが、つい面白くて投稿しました。

 

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Posted by makotoazuma