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新 思考ラボ

2026年2月18日ようこそ

2026年 2月18日 なぜ生きなければならないのか

此れほどの時間、数限りない生死が繰り返されているにもかかわらず。未だ人生を問わない人は居るのだろうか。

さて世の中には、我々が感じている現実とは違うところの感覚で世の中を認識している人がいる。いわゆる霊能者といわれる方々だ。残念ながら、彼らの言うことが本当かどうか凡人には確かめようがないのである。とはいえ私の興味は、それが正しいかどうかより、このことを自分にどう納得させられるかに掛かっている。

さて、このような話の一つにあの世とこの世の世界というものがある。私は実感として肉体と精神は別々に存在すると感じているので、きっと精神だけが肉体を離れても存在する世界があると思っている。

何故そう思うかといえば、物質が存在するためにはその雛形となるイメージが、最初に存在していなければならないと考えるからだ。具体的に言えば、植物と昆虫という種を超えた視点がなければ、この関りを説明することはできない。このことは以前投稿した蜂とハンマーオーキッドとの関りなどに顕著だ。つまりこれを、確率で起こる種の突然変異だけで説明することには無理がある。つまりこのような生物の関係性は、この世の時空以外に存在する意識によってイメージされなければ説明が付かないのである。

さて、あの世の存在を伝える話の中に、人間は生まれる前から人生を決めてくるという話がある。いわゆる運命論やカルマに繋がる話になる。ところがこれに対して最初からそのようなストーリーが決まっているのであれば、わざわざ生まれる必要などないではないか、とい思いになってくる。このようなことを考え続けていると今流行りのAIがあれば、わざわざ間違いだらけの人間が生まれる必要はあるのかという考えにも行着いてしまいかねない。

人生は最適解を得る場ではない

そこで思うのは人生は何らかの答えを見出す場ではないのではという答えに行着いた。では何のためにという問いが再び生まれてくる。ここでコンピューターの話が出たので、これを使ったゲームの世界を考えてみる。つまりシュミレーションゲームなどは、最初からゲームの中で起こり得るイベントはすでにプログラムされているのだ。話を戻すとあの世で決まっている人生とはこのような事なのではないだろうか。

では実際にこれをプレーヤーがゲームをプレーするとどうなるか辿ってみると。ゲームが進むつど新しい画面が展開されて来る。がしかしこれとても、すでにプログラムに備わっている確率の一つでしかない。とはいえ、これにより現実世界のプレーヤーは画面の展開に一喜一憂しているはずだ。私はこのような情念の変化は計算により得ることは出来ないのではと思っている。つまりプレーヤーの感情の変化はプログラム以外の事になる。私はこのようなプレーヤーの情念を現実世界に刻むことこそが生命の目的ではないかと思っている。では本当にそのような目的がこの世界が存在する目的だとすれば、波風の立たないゲームは駄作の評価を受けるに違いない。むしろ波乱万丈、泣き笑いの人生こそ名プレーヤーとしての真骨頂なのかもしれない。

ようこそ

Posted by makotoazuma