思考ラボ
2021年 11月25日 仮想現実という現実
昨日の時間は過去しかないという記事を引きずっています。この記事によると今までブラックホールで誕生する特異点という体積を持たず無限の質量をもった点がポッカリ空間にできてしまいます。
そこでは物理法則が崩壊しているのでその先を考えることが出来ません。この法則を支えているのが時間という連続した存在で必ず一方向にしか時間は流れません。
それが過去、現在、未来で未来から起こって過去に過ぎ去ってゆくこれが時間の定義です。
ところが昨日の記事によると時間は分散して存在するものらしいと言っています。これは仏教でいう曼荼羅の世界のようです。しかも時間の最小単位は物質と同じ粒子だというのですからイメージすら浮かびません。
このようなことを考えるのは、この未知なる特異点の先にある世界を想像するためです。
私はこの時間が粒子であるという考えから浮かんできたイメージが、この世はやっぱり何かの仮想現実ではないかということです。時間が粒子という考えはVRの世界では電気信号の点滅によって表現される仮想現実の世界と同じではないか、という思いが起こります。
そう考えると、ビッグバンやブラックホールも単なるアルゴリズムの世界です。ということは果てしない大宇宙なんてもともと存在していないのではないか、そのような計算方法でそのことを表現している、ただこれだけのことなではないでしょうか。
そう考えるとこの世界が何らかの意思をもって存在しているように我々が捉えてしまうのも無理のない話ではないでしょうか、人類の関心はまさにその意志とは何なのかを探ることです。
もしもこの世がそのように意志を持った存在の創造物であるなら、その創造物は意志の表現であるはずです。我々はどうすればその表現を受け入れることが出来るのでしょうか。私が思うのは、純粋な眼差しをもって世界を受け入れることしかないように思います。この世界をただありのまま見つめる眼差し、その眼差しをもって人類は創造の深淵に触れることが出来るのではないでしょうか。