思考ラボ
幻想への憧れ
昨日、偶然インド舞踊の動画を観ました。何を表現していたのかは全く分かりません。
でも引き付けられる何かを感じました。その何かについて思いついたことを記述したいと思います。
さて舞踊と言えばおそらく、その起源は太古より人間の日常生活と重なるように生まれてきたのではないでしょうか、その一方で舞踊には神聖な祭事としての重要な側面もあります。
ところで、昨日観た動画は日常のものか神代のものか私には何を表現していたのか分かりませんでした。(調べようともしていないWW)とはいえ、その身のこなしから神聖なイメージを表現しているように感じました。 では何故そのように感じたかと言えば、その動作は日常には起きない動作だったからです。
人の動作は日常生活の中でほぼ決まっています。例えば物を握りしめるという動作は有っても、指を反り返らせるような動作はしません。また片足立ちになってポーズすることも必要のないことです。ところが舞踊の世界では、この生活に不必要な動作が何度も繰り返されてます。それは何故かということが、この記事のテーマです。
結論から言えば、これらの不思議な動作の舞踊は日常を離れた幻想を表現しているということです。舞踊は私たちの肉体を日常の動きから切り離すことによって目には見えない神々の世界を表現しているのではないか、という思いが湧いてきました。
片足立ちでしかも、片方の足はけり上げるようにしながら、両手を上下逆方向に広げる、そのような動作を目にしていると、踊り手はまるで無重力の世界にいるようです。このような動作は踊り手にとって、どれほど大変な負担を強いる姿勢なのか、そんなことは決して悟られないよう涼しい顔で踊られています。
聴衆は、その流れるような動きによって、日常生活から解き放たれ神々の世界に浸ります。そう考えると日常は今も昔も私たちにとってそう容易いものではなさそうです。
一方、表現者にとって幻想を表現することは、血のにじむような努力を強いられることになりまが、そんな努力も表現者にとっては、ただ憧れに近づくための過程でしかないのかもしれません。