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思考ラボ

2024年7月26日gallery,ようこそ

人生とは・・・

「人生とは実在に繋げるためのアイコンだ」これが私の人生に対しての結論です。「えーこれが何千年も人類が求めて来た人生に対する結論ですか、安易ではないですか、大丈夫ですか、簡単に仰いますがこの答えのために命懸けで取り組んでおられる方もいるのですよ、あなたに何の資格があってそんな大それたことを言うのですか。」

私に資格などあろうはずもありません。単なる思いつきです。ただこれも私なりの納得からです。別に何かの教団を創ろうとか、教えを広めようとかのことではありません。ただはっきりしていることは私の認識は「このことを受け入れた」ということです。

世の中にはすでに、完璧な聖人の教えがあります。私ごときがそのようなところに割って入ろうということではありません。既存の教えをそのまま受け入れることが出なかった凡夫が、ここにいるだけです。どういう事かと言えば、自分に正直になればなるほど、学べば学ぶほどその溝の深さは埋まりません。なので、このような暴挙に及んでしまったということです。

では何がそれほど受け入れづらかったか、というと個性というものの理解です。前にもたびたび触れましたが、個性とはどうしても自我から離れることがありません。そこで、「自我を捨てろ」と言われても簡単に受け入れることは出来ないんです。

ところで存在は一つの世界であるにせよ、肉体には個性があって多様な存在です。たとえ家族のような遺伝子の近いコミュニティーであっても、容姿においても性格においても多様性があって、このことを誰も否定することは出来ないことだと思います。

もしも大いなる存在が一つの正解ににこだわり世界を創ったとすれば、答えは一つで事足ります、たとえば聖人一人存在すれば、世界は間違なく完璧なものになります。

また、大いなる存在が一つの正解に向かって日々我々を導いてきたとすれば、なぜこれほど、まどろっこしいアプローチを続けているのかという疑問です。

我々人類の作った機械の世界では反省と改善により、今ではその機能において人類と変わらないほど完成度の高い機械が生まれようとしています。そのポテンシャルはいずれ近いうち人類を追い越すはずです、そんな未来が間近に迫っています。つまり反省と改善を繰り返す人類のアプローチは、必ずその結果を私たちが望んだ方向へ向かわせているということです。

では我々の暮らす現実の世界では、このように着々と正解に向かっているとを実感できるのでしょうか、私にはその目線で世の中を見渡してもあきれるばかりにしか思えません。人類はこれまで、どれだけの血を流して反省を促されても、どれほどの時間を費やしたとしても我々の望む正解へは向かっていないのではないか、という思いになります。

このようなことから、そもそも人類は、そのような答えに向かっていないのではないかという結論に至りました。表現を変えれば大いなる存在は、人類に対し1つの正解を望んではいないという思いです。

これらを前提にすると、個性や自我は起こるべくして起こったことではあるが、その目的はどこにも向かっていない、むしろ個性が発揮される多様性こそ大いなる存在が望んでいることではないかというものです。ということは、個性の多様性こそが本来の目的で、他人から立派で尊敬されることが人生の目的ではないということです。残念なことですが卑怯で狡賢いことも我々の個性として認めざるを得ません。

さて以上のことが、どうしてアイコンに繋がるのかと言えば、そうはいってもその本質は大いなる存在そのものにあるからです。これまでも、この大いなる存在は、今という瞬間でしかとらえることが出来ないということを、お話してきました。しかもこの瞬間は我々の思考で捉えることが出来ない存在なのです。もしこのことを思考の世界で表現するとなると、現象界での表現を借りるしかありません。その為このショートカットを作る作業は現象世界で表現されたことを大いなる存在の世界と繋つながるためのアイコンになります。

私たちの授かった人生はまさにこのアイコンを完成させることにあります。大いなる存在が実際どう思っているのかわかりませんが、私たちの暮らしぶりから推察するとそのように感じます。

ところで、アイコンが無事できると次に重要な課題があります。それがアイコンを大いなる存在にリンクさせることです。おそらくこの作業が人生でもっとも難しい作業になると思います。たいがいの人はこのリンクを張れずに現象世界を去ります。なので転生が必要になるのではないかと思いますが、この先は沼になるので迂回します。

さて、アイコンを作る作業は、着の身着のまま自分の思うところを生ききることで完成されますが、リンクを張るためには、大いなる存在の所在に気づかなければならないという作業があります。つまり今ここの存在に気づくことです。このために、いにしえより瞑想や、座禅が用いられてきました。

また、大いなる存在は、すでにそこへ誘うナビゲーターも用意されているようです。良いご縁が訪れますように。

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Posted by makotoazuma