2021年 tower
思い上がりの象徴
聖書では神の世界に近づこうとした人間の思い上がりを塔に象徴させているようです。美術史では、ブリューゲルのバベルの塔が有名ですが、おそらくブリューゲルにとっても魅力的なテーマだったのだと思います。同じテーマで連作を発表されています。しかも、搭の建設過程を作品ごとに進めているのです。
バベルの塔の特異な点
さてこのバベルの塔の逸話には、数ある聖書の逸話の中でもとても特異な点があります。聖書に登場する人類は、何度も神の怒りに触れては、裁きを受けるのですが、その裁きは洪水であったり、疫病であったり、雷や火の粉など直接的な裁きによって瞬時に滅ぼされています。ところがこのバベルの塔にあっては建設に携わっている人間の意思疎通を阻害することで、搭の建設は出来なくなり消滅へと向かうのですがとても間接的な裁きです。
簡単に言えば、神に直接滅ぼされるのか、自滅の道を歩まされるのかの違いですが、この間接的な裁きには逃げ道が用意されているように私には感じられます。それは、この禍に気づいて人類が互いに歩み寄る努力を重ねること。そうすれば、滅びることから逃れることが出来るのではないでしょうか。
現在の我々に対する裁き
現在の人類は、神から直接的な裁きと、間接的な裁きを同時に受けているように感じます。では神の望みとはいったい何を我々に望まれているのでしょうか。一連の流れを観ると人類に対して気づきを望まれているのではないかと思います。「はやく、気づいて歩み寄れ」と我々に伝えているようです。とは言えもしもどこかに箱舟がこっそり在ったりすると諦めるしかないのですが。