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2024年 日輪

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これは太陽神の子バイエトーンの神話をイメージした作品だ。この神話は太陽の運行を馬車に例えている。この神話によると太陽神の子バイエトーンは、父からこの馬車を借り天に上ったが、馬車のコントロールを失って地上にぶつかり、その結果地上の街を焼き尽くしてしまう。

これを見た太陽神は馬車を止めるため、馬車に乗った自らの子を滅ぼしてしまうという大変悲劇な神話だ。私はこの神話を宮﨑監督の君たちはどう生きるかという作品に重ね合わせている。とはいえ私が視たのは一度きりなので何か覚え違いをしているかもしれないので、間違いがあればお許しいただきたい。そしてこの映画に私は現代社会の抱える不条理を勝手に重寝てしまう。どういう事かといえば、この映画では地上に生まれようとする人間の魂を丸い風船のような姿のワラワラというキャラクターで描いている。

あるシーンでは人間の魂がそのワラワラに姿を変えて地上界に向かって弧を描きながら登ってゆくところだった。ところが、ペリカンの群れが、これをめがけて襲い掛かり次々食べてしまうのだ。ほんらいこのペリカンたちもワラワラを食べることを目的に存在しているのではないのだという、空腹がやむにやまれぬ行動に駆り立てるのだそうだ。そしてこのワラワラを助けるために、真人の母久子の幼少の姿をしたヒミは自分に宿っている太陽神の力を使ってペリカンたちを払おうとするが、ペリカンどころか、地上に上るワラワラまでも滅ぼしてしまうのだ。力というものがコントロールを失うと目的がどうであれ、結局、破壊しかもたらさないという表現なのではないだろうか。

さて前回この映画の考察に北欧神話との繋がりを書いた。とくにこの映画がその繋がりを感じさせるのが地下世界には黄泉の国が存在するという設定だ。とはいえキリスト教、仏教の世界でも地獄は文字通り地底にあるとされるが、黄泉の国というのは懲罰的な意味はなく魂が赴く先というイメージが強い、ここのところは日本の神道とも似通っている。さらに神話の内容でも共通するところがある。例えばバイエトーンの神話では、自分の子供を神自らの手で滅ぼしてしまうことになるが、北欧神話のニーベルゲンの指輪に登場するジークムントも自分の父であるヴォータンの槍によって滅ぼされてしまう。

このようにこの映画の世界観は日本だけの世界観では到底治まらない、特に地底世界に潜り込んでからはいよいよ幻想的になってくる。

私はこのような感覚に謎の天才ヒエロニムスボスの作品を鑑賞する思いと同じ楽しさを感じている。一見宝石が散りばめられているような美しい作品も、よくよく見ると画面は奇々怪々なモチーフで溢れている。ところがこのモチーフは、当時の人間なら誰もが理解できた宗教的寓話なのだそうだ。私はそのようなカリカチュアがこの映画の随所に散りばめられているのではないかと思っている。たとえば塔の中に消えた夏子が、真人を布のようなもので包んでしまうシーンがあった。私はこのシーンが日本神話のイザナギ、イザナミによる神うみのシーンと重なってしまう。つまり最初に生まれた神は、布を巻かれ海に流された事代主、恵比寿様のお話のようにおもえるのだ。これを裏付けるように眞人は食料を得るため、船を出して魚釣りをしている。

また眞人と同じこめかみに傷をもつキリコというキャラクターは、登場時には気性の荒いたばこ好きのばあさんだったが、黄泉の国では海賊の格好をして船を操り、ワラワラを見守る存在として描かれている。印象的なのはワラワラが天に上る様子を見ながら涙を浮かべるシーンだ、この涙は憐憫の涙というよりは生命誕生の荘厳さに感極まった涙のように感じた。しかしながらこのキリコという名前、マンガ好きにとっては手塚治虫のブラックジャックを思い出させる。このキャラは命を生き長らえさせることに自分の技術を使うブラックジャックに対しキリコはその真逆にある、その同じ名前のキャラがこの映画では命の誕生に涙を浮かべる存在として描かれているのだ。

さてこの映画のキャラクターでもう一つ私には謎のキャラクターがある、それは最後に大挙して飛び出てくるインコの群れだ。インコといえば私のイメージでは愛玩動物というイメージがある。私もインコを飼っていた経験があるが映画に描かれているキャラとはずいぶん違う印象を持っている。もちろん実際のインコがサーベルや包丁を振り回すことはない、また貪欲に食い物を漁ることもない。食べものといえば、ほぼ雑穀でつまり草食動物なのだ。ところが、映画では眞人たちに隙があれば餌食にでもしてしまいそうに描かれている。つまりこの映画に登場するインコは食い物の為なら冷淡なことも厭わず、その表情は視線が定まらず少し薄気味悪い存在として描かれているのである。ここから感じるのは彼らが望むことは目先の食欲だけで、こんなものが眞人と一緒に黄泉の国から戦争中の日本に向かって飛び出してきたのである。因みに鳥の祖先といえば、あの獰猛そうな恐竜なのだそうだが、恐竜と言えどもいろんな個性の恐竜がいたに違いない。少なくとも私の飼っていたインコは大人しくて可愛らしかったのだが・・・

 

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Posted by makotoazuma