ENizmステーション 仲間たちと出会いの場
反逆から融合へ
近年アートは革新であることを目指してきた、それは過去の否定を創作の動機とするような、破壊を伴うモチベーションでそのことが、前衛というアーティストの創作活動を支えて来た。このことは時の権力を否定するという政治的な運動ともリンクし、このことから、時の権力から、数限りない弾圧を受けながらも前衛芸術はアートの魁を担ってきた。
しかしながらその根底には、革新という創造的なイメージの他に、過去の否定と反社会運動というネガティブで破壊的な側面を内包し、そのことで人間の攻撃的な感情をも呼び起こすという危うさがあった。
私はこのような二律背反の捉え方による損失をとても残念に思っている。なぜなら、アートもこのような政治的見地によって2分され、作者の意図とは関係のない政治的プロパガンダに利用される可能性があるからだ。
私はアーティストの政治参加も、政治的表現も否定してはいない。むしろ人間として当然あってしかるべきことなのだが、問題はそのことによって作品の価値を歪められたり、創作活動に支障がでることの損失を懸念している。
前置きが長くなったが私が提起するENizm運動は、真実に向かう思いを表現の目的としている。私にとって真実とは革新ではなく核心なのだ。
実は昨日とても感銘を受けた動画を視聴させてもらった。阿倍敏郎氏の小説「真かんながら」の付録動画だ。動画の中で天河神社の柿坂大宮司が語っておられた、「神道とはあるがままの世界」という言葉が胸に刺さった。どうしろこうしろではなく、ただあるがままで美しい。この世界こそ私が求めるENizmだ。