1997年 底流
大きさはF50号の作品で赤光社美術展出品のための作品です。正直な話何を思いながらこの絵を描いていたのか、まったく思い出せません。
作者であっても純粋な鑑賞者です。タイトルから推理すると、目の前に見えている世界の底を流れる何か、絵面では人工的で、無機質な現実の世界、人間と思しきモチーフからは無機質で空虚な印象しか伝わってきません。このモチーフの発するものからは、感情のない薄ら寒い世界です。
現実世界の底を流れるもの
おそらくこの世界の底流を流れる世界は、その逆の世界であってほしい、暖かくて鑑賞者の魂を揺さぶるような感動の世界です。その片鱗が樹木のモチーフで表されているのではないかという感想です。
あらためて、当時の作品を見るとこの当時の私は一体どこにフォーカスを当てて暮らしていたのか、良く視えてきます。お恥ずかしい話ですが、とても社会参加を積極的に望んでいる姿ではないようです。良くとって頂ければ真実と向き合っている姿、最近では中二病とでも言うんでしょうか。単なる自己顕示欲。
恐ろしいのは、この底流今も私の心の底をしっかり流れているんです。