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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 4月13日 フンコロガシに思うこと

昨日の晩NHKの特集で「安野光雅ファーブル昆虫記の旅」という番組を偶然目にした。偶然というのはチャンネルを変えていたらフンコロガシの映像が出てきて、なぜかその映像に見入ってしまったということだ。

映像は1988年のもので、すぐに古い映像だということが分かった。昔はこんなぼんやりした画像を楽しんでいたんだと思いながら、タイトルを見ると安野光雅氏の名前があった。氏は日本画家や絵本作家など様々な肩書を持つ方で、私も氏の描く透明な色彩の絵に憧れていたことを思い出していた。

ところで、私はこのフンコロガシの映像のどこに惹かれたかと言うと、フンコロガシの少々意地悪な実験についてだ。内容はファーブルがフンコロガシが自分の巣穴へ、どのように動物のフンを運ぶのかの観察実験だ。

そこで「もしも、糞が転がらなくなったらフンコロガシはどのように対処するのだろうか」という一生懸命糞を転がすフンコロガシにとってとても迷惑な実験だが、ファーブルにとっては興味が尽きない。

ではその方法はと言えば、転がしている最中の糞の真上から植物の茎を突き刺してフンコロガシが、転がせないように固定してしまうという実験だ。TVでもその方法にのっとり実験を再現していた、ファーブルの昆虫記とフンコロガシについては、私も小学校で習った記憶があったが、実験内容については記憶になかったので、新鮮な気持ちでテレビに見入っていた。

さて、このように標的にされたフンコロガシの挙動には驚くべきものがあった。実験ではフンコロガシは急に転がらなくなった原因を探るため、糞の周り上から下までチエックしだした。しかもその原因を正確に突き止めたのだ。ファーブルの実験では糞の下に潜り込み、頭ですくい揚げるようにして杭から糞を外したそうだ。

ではTVの実験ではどうなったかというと、フンコロガシは糞を刺された状態から半分に割って、杭から外していた。

ということは、ファーブルの実験とは違った解決方法によって糞は杭から外されたということになる。言い換えると個体がそれぞれ状況を判断して杭を外す方法を実践したということだ。この実験を見て私は知性とは、いったい何なのか疑問になってきた。

私たちは知性を測る目安として脳みその容量を引き合いに出すことがある、そのことを根拠にあの生き物は高等な知性を持っているから、食べるのには忍びないというような認識だ、私もこのような表現に何となく納得してしまっていた。

ところがこのような昆虫の行動を見ると、脳みその容量で知性を測ることが的を得ているのかどうか確信が揺らいでくるのだ。

そういえば人間は社会性のある生き物と例えられることもあるが、この例えもある種の蟻の行動の前では霞んでしまう。

今思い出したのだが、葉蟻の一部に自分たちの一団が雨水に流されると団子状態になって水に流されるそうだ当然水につかった蟻の命はないが、この蟻は自分の命を顧みないそうだ。そのことが良い悪いというつもりはない、問題は知性を体の大きい小さいで測ることは出来ないのではないかということだ。