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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

ここはどこ?

もし貴方がこのような質問を受けたとしたら、どのように答えるだろうか当たり前のことだが、その場所の住所を答えると思う都道府県や都市の名前などこれを答えることが出来れば間違いなく荷物が届いたり、待ち合わせであれば必ず落ち合うことが出来る。

では、そこが海の上だったとしても、緯度経度のように座標というものを答えることが出来れば間違いは起こらない。ところでその便利な座標や住所というものは何処に存在しているのだろうか、そんなことは概念というもので、存在するものでは無いというこれまた明確な答えが返ってくる。

それでは概念とは、この世に存在するものでは無いという明快な答えを受けて「ここは何処」という問いを、もう一度考えてみると、やはり「ここ」という言葉も、存在のない概念でしかないことになる。

このことは、今という時間認識についても同じことが言える。つまり存在は言葉では表現することができない。表現できていると思い込んでいるのは概念だ。それが現象というものの実態なのだと思う。

また、この現象はその特徴として因果律というものに支配されている。いはゆる、原因があって結果が起こる、起こった結果はまた別の原因になると言うように連続したドラマを展開しだすのだ。

残念ながら我々の認識とはこの現象を表現するためのツールでしかない、認識が創り出す現象はドラマという因果律をせっせと生み出しては、まるで我々の生きる目的はこのドラマの生成であるかのようだ。

我々がこのドラマを実態だと認識している限りこのドラマから逃れることは出来ない。なぜならこのドラマは途切れることがなく何処までも繋がっているとしたらどうだろう、しかも肉体が滅びた後もこのドラマは終わることがないとしたら、永遠に意識だけがその中にあると思い込んでしまうのだ。

冷めない悪夢とは、これほど怖いことはない。それは肉体が滅びることがこのドラマの終わりではないからだ。悪夢から目覚めるためには、このドラマが実態ではないことを知ることにあるのだ。