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2026年3月10日ようこそ

2026年 3月10日 国歌と国際大会

フジテレビ国際取材部の報道によると3月2日、オーストラリアで開催中のサッカー女子国際大会「AFCアジアカップ」に出場していたイラン女子代表の内5人がオーストラリアに亡命を申請しているという。報道によると彼らは試合会場において自国の国家斉唱を拒否したことで、帰国後危害を加えられる恐れがあることを危惧している。

さて、私個人としては国歌や国旗に敬意を払うべきという思いは今も変わらない。とはいえ彼女たちの行為は緊急事態に救助を求める叫びのようであり、理性を超えた行為と理解するべきだろう。

因みに、このような国際試合が政治的に利用されれば、その結果は運営側にも国家の介入を招き、そのことがスポーツという娯楽文化に政治的介入を招きかねない。このようなことを逆手に取ったのが、1938年にドイツで製作されたレニ・リーフェンシュタール監督の「オリンピア」という映画で、この映画はミュンヘンオリンピックを中心に「民族の祭典」と「美の祭典」という2部構成になっている。いわゆるナチスのプロパガンダ映画で知られるが、中身は見事な映像美を誇るオリンピックの記録映画なのである。

つまり、物事に国際という冠が付けば、このような愛国心の発揚を招いてしまうのは避けられないことなのである。先ほどのオリンピアという映画も確かにナチスのプロパに使われたことは違いないが、映像には様々な工夫が凝らされ、このカメラワークの素晴らしさは特筆すべきものがある。要するに私は表現の自由は、いかなる問題に繋がる過去があったにしても犯すべきではないと思っている。つまり、国家の存立を維持するということは、また別次元の問題として捉えなければならないものと思っているのだ。

話を整理するとサッカーを楽しむ行為と、国家の存立を維持するということは切り離して考えなければならない。この仕切りを安易に取り除いてしまえば、スポーツという娯楽文化は、政治という国家の干渉から独立性を保てなくなるのだ。それほど国際試合といえば注目を集める娯楽イベントであり、ここに観客が細やかなナショナリズムを重ねてしまうことは避けられないのである。つまり現在開催中のWBCで大谷選手の活躍に日本人が大喜びしてしまうことはどうしても避けられないのである。

そうだとすればこのような国際舞台がこれ以上政治的干渉を受けない為にも、主催者や選手にはこのような自覚を持ってもらうしかないのである。要するにこのような場を自分たちの抗議の手段に使ってしまえば、場合によっては祭典の運営にまで政治の干渉が及ぶ危険があるのだ。だとすれば、選手がいかなる政治的な問題を抱えているにしても、このような抗議は自分の責任が及ぶ範囲で行っていただくしかない。要するにこのような国際的祭典こそ、政治の枠を超え人類が共有できる娯楽文化とらえて大切にして欲しいのである。

 

 

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Posted by makotoazuma