日々これ切実
2026年 3月6日 チャレンジ

「生成する日常」これ美術展のタイトルで、種明かしをすれば道南の作家5人の作品による北海道立道立函館美術館主催の展覧会だ。とはいえこの企画は、そこだけでは終わらせたくないという主催者のチャレンジを感じてしまうのである。
では、この意味深なタイトルは鑑賞者に一体何を訴えているのか、やはり探りを入れたくなる。そこで私が、この展覧会を訪れ真っ先に感じたことは、各作家の表現のバラエティーさだ。つまり誰もが同一の世界に存在すると思われる日常が、作家の目を通すとこれほど多様な世界が具現化されてくるのである。
さて、最初に鑑賞者を出迎えてくれたのは1905年生まれの早瀬瀧江という画家で、氏は日本にシュルレアリズムを紹介した草分け的存在の福沢一郎氏に師事し、その流れで第一回美術文化展で美術文化賞を受賞する。実際に氏の絵を前にしていると、戦前のシュルレアリストが抱いていた時代の熱気を感じるのである。
そして、会場を進むと深井克美という1948年生まれの作家に出合う、深井克美といえば、過去にも大きな展覧会を視た記憶が蘇ってくる。氏は戦後の混沌を丸ごと抱え込み壮絶な最期を迎えた画家だが、不思議なことにこの絶望的とも思える奇怪な画面の中に、私は何故か瑞々しくも透明な感性を感じる、それは森田童子の歌声のように繊細で危うい。
そして展覧会でもっとも大きな展示スペースとなった。折原久左エ門の立体とその壁面を飾る瀬戸英樹氏の作品は、人の内面を厳しくえぐる視線から一気に鑑賞者を解放してくれるように感じた。特に印象深かったのは瀬戸氏の描く抜けるような空の表現だ。あれほど細密なタッチの絵画にも拘らずそこから感じる印象は、吸い込まれるほど透明な解放感なのである。
ところが、これと対照的な印象を受けたのが最後の展示スペースを飾る小宮伸二氏の展示だった。というも氏の作品に近づくまでは、作品のもつ存在感により、ある種の圧迫感を感じていた。ところが、作品のすぐそばまで近づくと、なぜかその印象は人懐っこさに替わってしまうのである。つまり、氏の作品が醸す印象こそ生成する日常そのもののように感じられるのだ。中でも今回私のお気に入りは雲丹の棘のように丸い物体から細い植物のようなものが生えている作品だった。作品のキャプションを見るとそれは、抜け落ちた猫の髭なのだそうだ。猫の髭がこれほど存在感を持っていたとは、それを知って私は改めて驚いてしまった。そして最後の展示となった氏のインスタレーションは、光と影と音を駆使した空間表現だった。その現代的な展示で私がそこに見出したのは、柔らかさと懐かしさという理屈では表現できない曖昧な記憶だった。
その記憶は2度と手繰り寄せることのできない何処かにあった日常の断片なのだろう、私はこのインスタレーションによりそんな日常を見つけてしまったのかもしれない。