今日は好日
2022年 5月31日 人は何故自由を求めるのか
これほど自由、自由と叫ばれながらなぜそれほど必要なのかと問われれば言葉に詰まってしまう。なにせ命に代えても護らなきゃならないとしたら、曖昧な言葉でお茶を濁すというのもどうかと思う。それほど大切な事なのにその理由を尋ねられると適当な言葉が見つからない。
それは命より大切な自由とは何かと言う問いに他ならないからだ。命は地球の重さに例えられるほど大切なものだがそれにも増して大切だとなれば単に個人の嗜好では済まされることではない。
さてここまでハードルを上げておいて私が思う自由とは何だろう。あえて定義するとすれば自由とは生命が誕生した目的そのものだという考えだ。
つまり生命に意味が有るとすれば、個体の命を繋いでいく目的以外にも「多様性を体験をする」という目的が考えられる。いわゆる宇宙は、空間の広がりに加えて、多様な物質の変化によってその広がりを維持しているように感じる。つまり、多様に存在することこそが宇宙の意志とは言えないだろうか。
そう考えると人類の叡智が、いくら理想とする生活環境を整えたとしても、ことごとく打ち砕かれるのはそのためではないだろうか、とかく我々の考える正義は命を維持することに向けられるが、その裏側では大量破壊兵器が作られていたりする。
このような事実を受け入れたとすると、物事が正しかろうが、正しくなかろうが、物事は円滑に進まないように最初からプログラムされているようだ。つまり混乱とトラブルがこの世界の平常運転らしいのだ。できれば自分だけは、その原因にならないように暮らしたいものだが、そうもいかないらしい。
結局そんなところが自由に生きることの本当の意味なのかもしれない。自由が人間の望む姿というよりは、自由は我々を生んだ宇宙の意志なのではないだろうか。なぜなら自由は人間の理想とする正義には収まらないからだ。
宇宙には善人も悪人も存在しない多様な結果が残るだけだ、つまりアウトローも宇宙の望まれることだと言えないだろうか。