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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 6月5日 クリスチャンラッセンってどう思う?

大変成功したアーティスト、いやアーティストのくくりでは収まらない人のようだ。今朝ほどクリスチャンラッセン氏についてのユーチューブ動画を見てしまった。いままで検索した記憶も無いのだが、絵の描き方の動画を見ていたら紛れ込んできた。動画のタイトルは正確に覚えていないのだが内容は、何故彼の作品は美術界に受け入れられないのかという内容だ。全く次元の違う立場だが美術界に受け入れられないというところは一緒だと思い、動画を見てしまった。では、私がどちらにシンパシーを感じているかと言えば、残念ながら受け入れるほうではないのだ。

問題は何故そうなのかということなのだが、説明しようとすればなかなか奥深いものがあって記事にしたくなった。動画で指摘されていた原因としては、美術史への批判的な言動であり、商業的な活動でのトラブルがあったことなどが挙がっていた。確かに一頃若者中心にクレジット購入が頻繁にされていたことも私の身の周りで聞いている、私の知人も購入者の一人だが、値上がりすることを販売目的とした投機目的の購入を勧められたそうだ。とはいえ美術品が投機目的で取引されることに目くじらを立てているわけではない。そのような世界が美術の環境を活性化していることは事実だと思うし、そのような恩恵にあずかることが私を激しい妄想の世界に誘ってくれていることも事実だろう。

ところでその絵を購入した知人からその絵の感想を聞かれて困った記憶がある。何故困ったかと言えば、そこがこの記事の核心になる。何故かと言えばご存じの通り絵面は非常にうまいしモチーフについてもイルカやクジラあるいは、様々な自然の風景がテーマになっていて、調子に乗って批判めいたことなどを言おうものなら、アートとは別のトラブルを抱えそうになる。

では、私が何故、彼の作品を受け入れがたいと思うのかについて説明すると、簡単に言えば作品やモチーフの完璧さにあると思う。絵面もモチーフも文句のつけようがない、つまり取りつく島が無いのだ、ネガティブな表現をあえてするとすれば、そこには共感が生まれてこないということだろう。

絵画作品には、うまい絵はもちろんだが、下手な絵であっても、もう一度見返したくなるような何かしら心に触れて来る感覚がある。そこには作者のリアルな感情の変化というものが感じられるはずだ。あるいは、作者の思いが何処に向かっているのかなど、体裁を繕おうと思っても自然と作品に滲み出るものだと思っている。いやな絵は嫌な絵なりに、鑑賞者との心の交流が生まれるものだ、私はそれが表現の世界だと思っている。

つまり作家がお金を稼ごうが贅沢な生活をしようが売り方に問題が有ろうが、作品の持つ力をそぐことには成らない、作品は作者が感じていない潜在意識まで表にさらけ出しているということだ。言い換えると作品を公開するということは、世の中に自分のバカをさらけ出すようなものだ。そこまでして生まれる心の交流こそ、孤独な魂に寄り添うことが出来るものだと思っている。

この記事で傷つかれる方がおられたとしたたら、お許し頂きたい。自分でも馬鹿なことを書いていると思っているが、改めて自分が絵を描くことの動機を明確にしておきたいと思ったのだ。