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今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 6月15日 幸せは自分の中にしかない

けっして物質の有難さを否定するつもりはないが、最後の最後そこから得られる思いは自分の中にしかないということだ。世の中には石を観るだけでも楽しめる人がいる、万人が楽しめるかと言えば難しいと思うのだが、この楽しみは、すでに戦国時代には存在していたようで茶器と並ぶ価値があった。

何が言いたいかと言えば、物の価値はひとそれぞれまったく違うということだ。結局は個人、個人の心の中でしか幸せは味わうことが出来ない。

いまは、石ころのような特殊なもので例えたが、これが食べ物であっても同じことが言える、例えば病院のような切迫した環境であっても入院患者の不満は、その命を支えてくれているはずの、給食にたいしてかなり厳しい評価をする。はた目には料理の品数の多さや冷めない工夫など、細心の注意が払われた食事であっても、いい評価を得ることはなかなか稀なようだ。

一般的に我々はこの些細な喜びが満たされることを幸せというが、よく観察すると、そこには受ける喜びと与える喜びがあることに気づく。さらに良く観ると受ける喜びには必ず不満というものが影を落とす、我々は喜びを受ける時には、喜びについてその評価をしてしまうということだ。そして次に受ける喜びには、この評価をクリアーできなければ、喜びに至らないという少々不安定な幸せなのである。

では、与える方の喜びはどうだろうか、与える方は自分のできる限界が、そのまま与える基準になる。評価を気にする人もいるが、その後に受ける評価は受ける方の立場のことだ。あくまでも、与えようとするときの思いは自分が出来ることの限界そのものだ。

さていずれの喜びを自分の喜びとして幸せに至ろうとするか、ハードルが低いのは与える喜びの方なのだ。

このようなことを言うと、自分には人に与えられるものなど一つもない、と仰られる方がおられるかもしれない。ところが、与えるということはそれほど大変な事でもない。与える側が貴方から一番欲しがっているのは、あなたの感謝の気持ちだ、それこそ与える側の期待する評価なのだ。