G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

今日は好日

2022年12月3日gallery,今日のできごと日々のブログ

2022年 7月3日 無意識とのシンクロ

昨晩ユーチューブ動画で「うぴ子」氏の素敵な動画を発見した、動画のサムネには涙が止まらないとかそんな言葉があったと思う、リクルートスーツを思わせる衣装でギター一本の路上ライブ、不思議なシチュエーションだが、視聴させて頂いた動画は中島みゆきのファイトだった。

私は中島みゆきの曲のでも特に大好きな曲だが、曲の初めからとてもインパクトの強い曲だ。おそらく演奏となるとかなり難しい曲のように感じる。歌いながらもその物語を展開させて、主人公が置かれていた不条理な環境からの解放と、未知の世界へ旅立つための心の高ぶりを歌で表現しなければならない、曲の個性が強ければ強いほど演奏にはブレない技術が求められる。

ところで、私が急に音楽動画を視聴しようと思ったのは、今まで使っていたヘッドホンが壊れてダイソーの300円イヤホンの具合を確認したかったからなのだが、動画を再生して驚いた、ギター一本の演奏のはずが、そこから聞こえてきた音は、実に厚みがあって私はまるで音楽に包みこまれるように感じていた。しかも、音程やテンポは驚くほど正確で軽やかなのだ。

不思議なことに彼女の歌声は染み入るように、おっさんの心に届いてくる、何の抵抗も感じない大吟醸のさらに上をいく酒のようだ。彼女の活動は2020年11月に上京と書かれていた、まだ2年に満たない活動らしい、しかも23歳という若さだ、その頃の自分と言えば世間の荒波に乗っかるのが精いっぱいで、とても自分の表現で身を立てようなどとは想像すらできなかったと思う。

ところで、何故私が彼女の活動を記事にしたくなったのかと言えば、彼女こそ無意識とシンクロする存在に思えたからだ。このことは本人に直接確認したことでもなく私の勝手な思い込みだが、彼女のオリジナル曲から垣間見える世の中の捉え方やその説得力にそう思わせる節があるのだ。

たとえば、彼女の作品にアニメのキャラクターになりきってみるという不思議なアプローチの作品がある。一般的にこの「なりきる」という発想は、肉体と意識が一体のままでは,なかなか上手くいかないものだ。自分の肉体に別な人格が入れ替わるような意識なのだが、急にせき込んだり、目を白黒させて大騒ぎするのではなく、ごく自然に自分でも意識せずにそうなっているのだと思う。

このような感性は、そんな体験のない第三者にたいして、底知れない恐怖を感じさせただろう、いわゆる自分の心を読まれてしまったり、確信を得ているような態度、また奇跡のように新しものを次々生み出してくる様子は恐怖でしかない。おそらくこのようなことで、彼女はとんでもない誹謗中傷を浴びたのではないかと思う。「匿名の檻」という歌からはその苛烈さが伝わる。

さて、これまで一般的にはこのようなことを説明するときは、自己と他者との共感力と言われてきた。

私はこの捉え方に少しばかり危惧していることがある。それはこれまで共感力が高いとされる作家ほど自分も同時に傷つけてしまっている例があるからだ。

何を言いたいのかと言えば、いずれの悲しみも大いなる無意識の記憶に刻まれていて、表現とはその無意識の記憶を掘り起こすことではないだろうか。一方自分の意識が相手の傷と共鳴しているように感じることは、2つに孤立した意識という状態を受け入れることだ。このことはいずれ自分の表現でもある肉体をも傷つけてしまうことになりかねない。気になるのは彼女の曲がこのように他人の傷に意識が向かっていることだ。ジャニス・ジョプリンなど他者との共感や世間で起こる不条理への抵抗はもろ刃の剣になる。

なので創作には他者の傷との共感ではなく無意識そのものの表現だということを意識してほしい。私たちは自分と言う形をもって新しい悲しみに向き合わなければならない、大切な体なのだ。

うぴ子氏の才能は間違いなく天に望まれたものだ、是非その天に導かれていることを受け入れてほしい。

昨晩はすでに音楽の世界も表現は出尽くしたのではないかと言う閉塞感から解放されて、未来への希望を持つことが出来た。新しい個性に乾杯だ。