今日は好日
2022年 7月11日 比較は悩みを作る
悲しみは現象によって起こって来るが、悩みは比較によって作られる。感情は目の前に起こる現象に対する自分の認識から起こっている。だから、現象の捉え方も人それぞれだ。社会的には認識を共有できない人とは距離を置きたがるし、排除しようという機運も起こって来る。
それでは悩みとはどのようなものだろうか、少なくとも感情とは言えない。いずれもネガティブな思いには違いないのだが、私は自分の理想が果たせない状態を悩みだと思っている。その思いが感情にまで及んで苦しくなることを苦悩と表現しているのだ。
私は常々この理想と言うものが、悩みの根源だと思っている。
例えば健康で長生きがしたいという人は、健康で長生きが出来ない恐れが悩みとなってしまう。ところが世の中の誰に聞いても死なない人がいるとは思っていない、それにもかかわらず、少しでも長生きをしたいというのが我々の心情なのだ。
さてそんな苦しい思いを、さらに助長させているのが比較と言う認識だ。残念ながら科学的認識とはまさにこのことなのだが、あの人は何十年生きたからもう充分だとか、まだ若いのになどと勝手に、世間は他人の人生を評価までしてくれるのだ。
悲しいことに悩みのほとんどは、自分が他人を基準にして自分の評価をしてしまうことにある。私はこのことが世の中にさらなる悲劇を生出しているのではないかと思えるのだ。何々だから自分は不幸だという思いは、自分と他者を比較して自分の不幸を確認する行為だ。
視点を変えてみると、自分で抱えきれないほどの悲しみを抱えていても、さらに多くの悲しみを背負っている人を見ると何故か急に気が楽になる。この視方が逆に働くとあの人が羨ましくてしょうがないという感情になるのだ。だからその気持ちを捨てろというのは少々乱暴な言い方になるだろう、現在我々の生活は科学技術無しでは考えられないからだ。
そこで悩みに振り回されない人生を歩むために、私の思いは段階的にものの見方を、変えていってはどうかと考え、今日このようなブログを日々綴っている。
その第一歩としては、人生は自分をとことん生きること、自分の周りの環境がどうであろうと、他人との比較を止めて自分が最も心地よいと感じる環境に身を置こうとすることだ。そこにはどこを探しても悩みなどは無いからだ。