今日は好日
2022年 7月12日 土に生かされる
昨日は買い物の途中、建設中の巨大なスーパーマーケットをみつけた。20年も前はこのような駐車場完備の巨大なスーパーは、郊外型と言われていたはずだった。ところが最近は、以前の繁華街に空き地が増えて、こんどは巨大なスーパーが立ち並ぶようになり、私のような消費者にとっては巨大なスーパーは、品揃えも豊富で新鮮なイメージがあって、さらには品物が安いと来ているので、このようなスーパーが家の近くに出来ることは願ったりかなったりなのだ。
ところが、私はまたよけなことを考える。多分このスーパーが立つと、今まであったスーパーと競争が激しくなるのではないかとか、国中同じようなスーパーばかりになって地方の商店街には個性が無くなってしまうのではないかとか、全く私が考えても仕方がないことをついつい考えてしまうのだ。
おそらく、このような流れが続くと土地と人間の関りは、ますます希薄になって来るはずだ。
人はこれまでその土地が生み出す産物から直接恩恵を受けて暮らして来た。古代の人々はそのことを直接肌身に感じてその土地の恵みに対し祈りを捧げて来たのだろう。結局このような祭事が我々個々の生活をその土地と固く結び付けてきたのだと思う。
ところで、我々の生活の糧が直接その土地との関わりを持たなくなってしまったところから、土地への感謝という行為はリアリティーをすっかり失ってしまい、さらには我々自体もその土地との関わりを失うことになってしまったのだ。さて、土地からも恵みを直接感じることがなくなった今、土地の恵みの代わりにその存在感を強めているものがある。
それが巨大なスーパーの出現にオバーラップしてくることに、巨大スーパーは有り余るほどの品物を、我々の目の前に提供してくれるにもかかわらず、土地への感謝を促すことは無い。むしろお金の有難さが真っ先に湧いてくる。現在土地への感謝はお金への感謝に変わりつつある。