今日は好日
2022年 7月28日 おほみたから 大御宝
天皇が国民をあらわす言葉だそうだ。あまり義務教育の中では聞けない言葉だが、日本人の歴史にはこのような思いが現在まで繋がっている。決して国民が刀に脅されて受け入れてきたのではないのだ。実は漢字をあてると百姓、蒼生、衆庶、人民、民という字を当てるのだそうだ。今日はいきなり固い話になってしまった。
実は今朝視たTVの経済番組で日本の給与水準が低いのは、終身雇用が続いているせいだと仰っていた。つまり、企業の業績が悪化しても社員を首に出来ないから、業績が悪化した分は給与を下げるしかないという理論なのだ。果たしてそれは本当のことなのだろうか、確かに今でも日本では個人が自分のキャリアをひっさげ会社を渡り歩くイメージは少ない。
では終身雇用が法律で企業に義務付けされているのかといえば、そんな法律は無いのだ、確かに社員の解雇にはそれなりの手続きが必要になるがそれだけのことだ。そもそも終身雇用という言葉が話題となった時代は、あわせて給与も年功序列で基本給はベースアップと共に上がり続け給与が下がるということはなかった。ただし成果を上げた社員はそれなりの成果報酬を得るこが出来たので、結構無茶な働き方をする人もいたので、決して横並びの給与が続いていたわけではない。そんな給与体系だったがこのことが日本経済に与えた良い面にも目を向けるべきだろう。
このように将来的にも安定した収入が確保できれば、庶民の欲求は高額の消費に向かうことが出来たのだ。つまり住宅の購入や自家用車などの購入で計画的に多くのローンを組むことが出来たのだ。
また、企業についても社員を長期で雇用できれば、長期の研究開発や社内機密の保護に役立っていた、日本の製造業が世界で活躍していた時代は、起業家と社員の信頼がしっかり息づいていた時代だ。世の中にリストラという言葉が飛び交うようになったとたん日本の企業は看板もその誇りも失ってしまった。
もしも番組のコメントが的を得ているのであれば、次のことはどのように理解したらよいのだろう。日本のGDPの推移をみるとバブルの終焉からであっても僅かながら上向いているはずなのに給与水準が全く伸びていないことだ。税収や株価がアベノミックスの推進と共に順調に伸びてきたにもかかわらず、給与水準は横ばいというよりは、世界の動向から見るとむしろ落ち込んでしまっている。では企業の得た利益は一体どこに行ってしまったのか、社内に留保されたままなのか、商品開発に回されているのだろうか。
問題は税収も個人資産もバブルの時代を上回っている筈なのに、庶民からは悲壮な思いしか聞くことが出来ないことだ。私は、朝食の間の僅かの時間にTVを覗いただけなのだが、こんな不思議なコメントがTVから流れてきたので一気に悲しい思いが溢れて来た。ひょっとして終身雇用が日本経済を衰退させているような印象を刷り込みたいのだろうか。
日本経済が元気だった終身雇用の時代に起業家がよく言っていた言葉が、「社員こそが会社の財産だ」という言葉だ、いまは投資家が一番偉いように言われているが、それは海外の発想で、まったく的外れな考え方だろう。何故なら投資家にはお金の提供はできても、商品に対する知識も無ければ将来のビジョンもないからだ、そんなスキルがあるのであれば、とっくに自分で商売を始めている。口を出すのはとりあえず自分の利益のになることかどうかだ。そんなものをいちいち崇めていては会社の展望は投資家の懐と悲しみしか残らない。
さらに番組で驚いたことは、隣の大国では現在失業が大問題となっているらしい。確か建国の目的はそのような不公平を無くすることが目的だったはずだが路上には、人民が日雇いの仕事を求めて朝から行列をつくっていた。これがあのイデオロギーを推進してきた結果なのか、共に支えあう生き方を望んでいるようには感じられない世界だった。