今日は好日
2022年 8月9日 親ガチャ
昔から自分の境遇を表す言葉に何々の星の元に産まれたという表現がある。最近はこのようなことを親ガチャというそうだ、なぜこんな言葉が巷にあふれだしているのか、それはあまりにも過酷な貧富の差によるものらしい。
現実的に日本に産まれた子供であっても、その日の食べ物に事欠くほどの生活を送らなければならないのだから、事は切迫している。昔の表現であれば責任の所在は、もっと漠然としていて、たとえ過酷な状況に産まれても、それは天の思し召しであって、天に輝く星が決めたことだとして受け入れられて来た。
ところが、親ガチャという表現は、ハッキリ親の責任を問うている。これも親に対する教育の表れなのだが、いまさら教育について語っている暇はない。
私はこのような状況は、日本国憲法にある最低限の生活を保障された姿なのだろうかと思う。子供たちの未来は国の未来と同じだ。その子供たちが希望を見失てしまっては、国益などという言葉もむなしくなる。
世界第3位のGDPを維持し、税収も過去最高額の国で貧困という言葉が広がっているということは、日本国における有史以来の恥ではないだろうか、私の望みは我が日本国はいつまでも美しい国であってほしいということだ。